諸種の対応としての萎縮

2020年12月01日 | 苦痛の価値論
1-3-3. 諸種の対応としての萎縮   
 生の萎縮は、弱いものの防御反応によく見られるが、強者にもある。反対の伸張も、強者の振る舞いになるとは限らない。攻撃の矛と防御の盾において、矛は、強者である印になる場合、伸張してカニのはさみのように大きなものになろうが、その盾は、不要ぎみだから、小さくなり萎縮の様相を見せるであろう。逆に、弱い者では、防御の盾は、大きなもの、伸張した盾をもち(亀の甲羅)、矛は、攻撃はせず防御したり逃走するだけなら、負担の少ない小さな萎縮したもので済ませるであろう。
 生本体としては、攻撃的に強く見せかけるには、単純には伸張することであろうが、体が大きすぎると、自身の維持にも行動にも負担が大きくなって邪魔だから、萎縮した方がよい場合もあろう。ライオンがクジラのように身体が巨大だと、威圧はできるが、実際に獲物を追うとなると、小回りはききにくいし、使うエネルギーが膨大になってすぐに疲れる。ほどほどに小さめの方が有利であろう。防御が中心の生体も、大きければ、攻撃する側にためらいを生じさせるだろうが、防御にも逃げるにも鈍になりやすかろうし、より大きな獲物として、見つかりやすく襲われやすくなろう。小さく硬い方が攻撃されにくければ、萎縮した方が好ましいこととなる。生体の伸張・萎縮は、その各々の生にふさわしいものがあり、淘汰されて残っているものが適正ということになるのであろう。
 苦痛にかかわる萎縮は、攻撃される方がとる姿勢だが、その損傷の展開に応じた萎縮の諸様相をもつ。まず、受苦直前では、恐怖の反応として、見つかりにくくするために小さく縮こまる。実際に攻撃されて損傷をうけ苦痛を抱く段になると、萎縮すれば、攻撃の的が小さくなり、大きな的と違って損傷を少しは小さくできる。萎縮して硬くなることで強固な盾となる効果もある。身体が損傷を受ければ、出血するが、萎縮すれば、血管も小さくなろうから、出血しにくくなることである。さらに、もう攻撃無用と見えるようにするにも、反攻撃姿勢の萎縮は効果的である。動物のオス同士の戦いによく見られるが、萎縮の姿は、排撃無用と受け取られるから、それ以上の損傷は被らないで済む。

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