抑鬱・鬱屈

2020年12月08日 | 苦痛の価値論
1-4. 抑鬱・鬱屈
 苦痛は、生損傷の現在にと意識を集中させ、それ以外の生の活動を抑制的にする。快は、生を伸張させ活発にし開放的にするが、苦痛は、その反対で、ダメージを受けた現実にと自身を萎縮させ自己閉鎖的にして、内の欲求も萎縮して、生を不活発に停滞させ、陰鬱に抑鬱的にする。ひとの生は、未来にむけて目的を描き、発揚をはかる。だが、苦痛・損傷は、これを直接、間接に拒み、意識は、その痛みの現在にと囚われる。未来に生きるのがひとの本来であるが、その未来は、苦痛の現在から見て暗く悲観的に描かれるものとなる。未来の目的実現には現在ある手段の確保が必須だが、その現在が苦痛対処で大わらわであれば、未来の目的は、実現の目途も立たない暗いものとなる。大けがをすれば、その苦痛に意識は奪われる。そのもとでの未来の描写は、現在の否定的事態生起の延長として、否定的なものになり勝ちである。悲観的になり、活動に慎重になって生動性を小さく抑止的にして、自身を暗く抑鬱的に鬱屈したものにしていく。  
 肉親を失った精神的な悲痛は、顕著に生を萎縮させ自己閉鎖的にする。楽しいことなら、未来に向けて生は発揚し、開放的になるが、逆の苦痛においては、その痛みの現在に気を奪われ、さらなる喪失を防ぐために周囲には警戒的な構えをとり自己閉鎖的になる。安らぎや楽しみを奪われた現在の肉親喪失の悲しみの延長上には、未来は描きがたく、描くとしても悲観的なものを描く。肉親を失った悲痛のもとでの未来は、喪失したものをより際立たせて、一層の悲しみをもたらす。愛児を失った親の未来は、漆黒の絶望に塗りつぶされる。その絶望の未来は、未来に生きようとする現在を無意味化し、これを陰鬱に閉じ込める。現在の悲痛が自己の全体をとらえて、その生を抑鬱的にし、その未来への思いも暗く鬱屈したものとなる。   
 苦痛は、覚醒を強いる。安眠を妨げて、その苦痛と、生じる悲観的な想像のもとでの陰鬱・抑鬱を感じ続けさせる。生は、鬱々とした閉塞空間への停滞を強いられ、その閉じた苦痛の暗黒のなかで窒息させられる。損傷による苦痛は、拷問のように覚醒を強制して眠らせず安らがせず、悶々と鬱屈した生の持続を強いる。
この記事についてブログを書く
« 諸種の対応としての萎縮 | トップ | 打撃を受けて生は陰鬱・抑鬱... »