つらさには、悲壮感が伴う

2022年07月05日 | 苦痛の価値論
2-5-4. つらさには、悲壮感が伴う  
 「早起きが辛い」と目覚めにいだく辛さは、動かなくなっている心身を動かそうとする意志の力みのもとに感じる。朝、早く起きようと思っているのに、眠気がとれず、心身が、動きだすことに抵抗して、早起きを思う意志は、この抵抗において辛さを感じることである。意志は、煩悶するが、思うようにならず、眠りから抜け出すことに抵抗する自身の心身に、情けないと思い、敗北感もいだく。意志することへの困難さに打ちのめされそうになっていて、それでもと、意志は悲壮な思いをもって気力をふり絞るのだが、無力を思い知らされ、予期される敗北に、その辛さは、悲しみをも感じることになる。
 「いまの生活が辛い」というが、快適な生活が阻止されこれに苦しさを抱くのとちがい、辛さでは、これに耐える自身について、もうどうにもならないと、それから自身が逃げ出したい、その生活を遺棄したいと思うようになる中で、その思いを抑えて我慢する状態にいだくものであろう。苦しい状態では、なお、その苦しみの対象に積極的に関与してその妨害物に当たり、その妨害物に抑止・抑鬱を感じる。だが、辛さでは、その苦痛の生活自体が耐えがたく、これから逃げ出したいという姿勢になり、これを押さえつけることに意志は力むが、その逃げ出したいという思いを抑えがたく、これに辛さをいだくのであろう。苦しい生活では、自身において、生活を守ろうとする姿勢をもっているが、辛い生活になると、苦もぎりぎりの状態となって、その生活の破綻が間近になっていて、その敗北の予感に、悲しみもいだく。「生活が辛い」という場合、これを遺棄したいと思うことになるぐらいに、その生活の根本において冷酷無残な仕打ちを感じ、辛く当たられて「辛い」という状態である。逃げ出す以外には手はないと、破綻を目の前にした状態で、悲痛な思いにある。
 つらさは、苦の直接的な感受に対して、一歩距離をとって、反省的である。ひどい苦だからこれから逃げたいと引き下がり、苦痛に対決する心身の先頭の主要部分は後退しはじめるなか、残された自己の中枢、精神は、そこに踏みとどまり、敗退の悲しみを予期しつつも、なお悲壮の思いをもって耐え続ける。辛(から)くも前向きの姿勢を維持していて、その悲壮の壮、勇気を振り絞り、断念せず、辛さに歯をくいしばって耐えるのである。
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