英雄の勇気、奴隷の忍耐という見方もある

2016年12月23日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-3-3-2. 英雄の勇気、奴隷の忍耐という見方もある
 弱肉強食を是とするひとのなかには、勇気は勇士が勝利するためにいだく高貴な道徳で、忍耐は、劣等の弱者が敗北に抱くものとみなすことがある。忍耐は、戦う勇気をもてず泣き寝入りしたり屈辱に我慢をつづけること等として、なさけないものだと蔑視される。強力な相手から脅され攻撃されたとき、勇気ある者は、これに怯まず挑戦する。が、それがないものは、戦わず黙って引き下がり辛抱する。忍耐は、勇気のない軟弱な者の振る舞いとなる。戦う勇気をもてず、「死ぬのはこわい」と強者に這いつくばり、敗者・奴隷になって忍耐することにと逃げるのである。
 勇気あるものは、危険に平然として、これの排撃のために勇猛果敢に戦う。優秀な強者が勇気をもつのであり、劣等で攻撃されてじっとしているのが、忍耐する者になる。勇気は、卓越した勇士・英雄のもので、忍耐は、弱虫・奴隷のものということになる(もっとも、弱者の忍耐は、忍耐せず無謀に自暴自棄的に抵抗して殲滅されて終わるよりは、命あっての物だねと捲土重来を期して奴隷となり臥薪嘗胆するのであれば、賢明な対処法である。その惨めな恥辱を耐えうるほどの者は、いずれ雪辱を果たすことが可能ともなる)。
 それは、節制と忍耐のちがいとも重なる。節制は、富を過剰に有した裕福な者がその快楽享受に過度になるのを少し制限しようというもので、忍耐の方は、貧者が飢えを我慢するものになる。こういう優勝劣敗・弱肉強食のなかの勝者・強者の価値基準からすると、忍耐は、敗者・弱者の規範(勇気を高貴な徳の中心におき獰猛さを賛美する者からいうと、「奴隷道徳」)にとどまり、優秀な者が勇気や節制の徳をもつということになる。