忍耐は、する前にするべきことがたくさんある

2016年12月02日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-3-2-3. 忍耐は、する前にするべきことがたくさんある
(忍耐の価値の算定) 忍耐は、苦痛を甘受する。自らの引き受ける忍耐は、それに見合う価値あるものの獲得を見定めていなくては、骨折り損となるだけである。せっかくの犠牲である。目的を高く掲げて、悪を避け、天に恥じないものでありたい。いやな「させられる」忍耐も自分のためになるものがある。
(忍耐なしの代替の道) 忍耐は、辛いことで、楽な道があるのなら、それを選ぶべきである。視野を広げれば、別の道が見えることも多い。したければ忍耐はいくらでもある。いじめ(犯罪)に忍耐することはない。忍耐するのなら、羞恥や鬱憤の暴発を我慢して、ことを公にし、いじめの排撃(心身の鍛錬とか警察等への相談)のために使うべきである。
(効果的な忍耐の仕方の探求) 忍耐も効果的なやり方がある。がむしゃらなトレーニングは、効果があがりにくいのみか、心身を傷めることになりかねない。合理的で省力的な方法をさがすことがいる。自分をつぶす忍耐ではなく、自分を鍛え自制心を育てるなど自己形成に資するような忍耐を選びたい。
(忍耐の限度を知ること) 自らがはじめる忍耐の場合、苦痛と傷害の程をよく見て忍耐の限度・忍耐中止を決断できねばならない。忍耐していると苦痛にも慣れるから、限度を超えて無理が平気になることがある。命をすり減らすほどのものなのかどうか、撤退すべき限度とその方法を考えておかねばならない。
 耐えられなくなり自暴自棄になって元も子もなくする前に、限度になる手前で、冷静に成果を確保してしばらく休憩するような自身への配慮もいる。辛い懸垂は五回が限度だったとしても、休憩を入れれば二十回はおろか五十回でもできる。
(忍耐貫徹のための工夫) 忍耐をはじめることは誰にでもできる。禁煙の忍耐など、たばこを吸う者ならみんなできる。何回でもできる。だが、これを貫徹して成功に導くには、苦痛甘受を無理やりに持続させるのだから、創意工夫をし、頭をつかわなくてはならない。
 忍耐に際しては、苦痛から逃げない超自然存在としての自分に誇りをもち、目的とそれへの歩みを具体化して一歩一歩前進を確かめる等、継続のための知恵がいる。苦痛甘受の忍耐は、肉を切らせて、骨を切る。さきを見通す深慮遠謀がなくては、肉を切られて終わる。
(違ったやり方、工夫、中断等を常々意識) 苦痛にとらわれると外が見えなくなる。重ねた苦労を無駄にしてはと無理もする。疲労困憊して理性が麻痺することもある。無駄・有害な忍耐と分かったら、わが身を痛めつけている忍耐のこと、(やめる自由があるものなら)直ちにこれを中止しなくてはならない。自分の忍耐のそとに立って、醒めた目でこれを時々は見直していく余裕を残しておきたい。