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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

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勇気の決断力・実行力-大胆に思い切り、果敢に挑戦を続けていく。

2012年10月06日 | 勇気について

5-4-4.勇気の決断力・実行力-大胆に思い切り、果敢に挑戦を続けていく。
 「案じるより産むが易し」という。ためらいをやめて、実行せよと。勇気は、危険を冒す大胆な決断をし、これを排撃する果敢な実践へと突き進む。
 決断力は、ためらいをやめ、思案を断ち切る。勇気は、恐怖を払いのけ、危険を覚悟し、危険への挑戦を決断する。未来は未定で、よりよい可能性を切り捨てた決断になるかも知れない。結果に自身が責任をもたねばならない重たい決断である。優柔不断・ためらいは、勇気の場合、禍い襲来の想像と恐怖によるところが大きい。深慮遠謀を踏まえての上だが、最後は、最悪を覚悟し、無謀を辞さないぐらいに大胆に踏ん切りをつけるのが勇気の決断である。日頃の、自律的にものごとを自身で取り決めていく主体的な姿勢は、決断力を高める。
 ネコに鈴をつける大胆な決断をしたら、ネズミは、それの実行へと飛躍していくことになる。勇気は、危険排撃を実際に推し進めていく果敢な実行力も持っていなくてはならない。危険なものがもたらす禍いを身に被る覚悟をして、臨機応変な対応へと心身を緊張させ、危険と現に対決して果敢に実践・戦いを繰り広げていく。ネコに噛み殺されることを覚悟して、ネズミは、鈴を手にもってネコに接近する。当って砕けろ、である。実行は、瞬時に終了することもあるが(バンジージャンプなど)、多くはさらに、最後まで貫徹する実行力がいる。途中でひるみ臆することになったのでは、ことは成就しない。気力・根性が行動・実践を持続させ挑戦を成就させる。日頃から、ひとまかせにせず、困難から逃げず、骨おしみしない積極的な姿勢をもつことは、勇気の実行力も養う。


勇気の強い意志は、気迫となり、気概・気骨となって闘志を燃やす。

2012年10月05日 | 勇気について

5-4-3.勇気の強い意志は、気迫となり、気概・気骨となって闘志を燃やす。
 危険とその恐怖は、短時間で終わることも多い。それへの忍耐は、持続して耐えるよりも、その瞬時の強い恐怖に、強い対抗力をもって耐えるという、強さが肝要となる。そういう場合、勇気に働く根性とか堪え性は、持続への忍耐であるよりも、強い力に折れることなく渾身の力を注いで対抗できる激しさということになる。
 攻撃の勇気では、相手が猛反撃してくると、つい臆して、攻撃を戸惑ったり断念したくなって、果敢な姿勢への集中が困難になってくる。勇気は、攻撃への集中に努めねばならない。そういう集中した精神状況を気迫という言葉が表す。気迫は、危険や恐怖を決然と排除し、屈することなく攻撃的に全身全霊を傾ける強い勢いをもつ。「にらみつけ」「歯噛みをして」攻撃的に理性を身体化し、意気込み、気合をいれ、満身の力をこめ、死力を尽くして攻撃意志をその対象へと集中する。
 気迫は、緊急時の瞬発力で、より身体的であろうが、勇気の強靭な不撓不屈の精神は、気概とか気骨といったもので語られる。気概・気骨ある精神は、危険・危機の困難に屈することなく、これを断固としてはねつけて、臆しひるむことなく強い意志をもっておのれを貫く。気迫や気骨も、筋肉と同じで、使うことでだんだんと堅強なものとなる。


堅い意志は、根性となり、こらえ性となって勇気を貫く。

2012年10月04日 | 勇気について

5-4-2.堅い意志は、根性となり、こらえ性となって勇気を貫く。
 恐怖や不安の強い不快に勇気は耐えるが、それは、逃げたい、不快をなくしたい、もう、我慢は無理だという気持ちとの格闘・葛藤のもとにある。勇気は、その反勇気の感性への抑制を持続させる。勇気は、堪(こら)える。危険なものへの攻撃では、激しい反撃にであうと、つい、勢いを失いがちになり、攻撃を断念したくなる。そこを断念せず、困難に耐えて、攻撃へと意志・気力を集中しつづけ、こらえるのが勇気である。不快に、つらい事に忍耐していく意志・気力を堅持しているかぎり、勇気はつづく。その意志を放棄し、あきらめるところで、忍耐は崩れ、勇気は敗れる。
 忍耐は、その目的や賞罰にみあうように大きくも小さくもなるが、経験するたびに自身に固有の忍耐力は身についてくる。若いときの苦労は買ってでもせよといわれるが、忍耐力は、経験をもって鍛えられ大きくなる。筋肉は使うたびに強く大きくなる。我慢する心身の能力は、経験するたびに成長する。辛苦・困難に耐え続ける意志は、鍛えられる。 
 困難に耐え、不屈の闘志を堅持する精神力がひとよりしっかり身についておれば、根性があるといわれ、その辛苦から逃げて意志薄弱に留まっているなら、堪え性がないと軽蔑されることとなる。堪え性は、うまれたときは誰ももっていない。それは、困難に挑み耐える経験を積んで自分で育てるものである。


勇敢な理性的精神は、負けじ魂と高い士気をつくりあげる。

2012年10月03日 | 勇気について

5-4-1.勇敢な理性的精神は、負けじ魂と高い士気をつくりあげる。
 勇気をもたねばならない者は、危険にさらされる弱い存在である。自然のままに放置しておくと、危険は禍いをもたらす。これを阻止し危険を排撃するために、勇気は、非常態勢をとり尋常でない力を発揮しようと奮い立つ。自然のままでは、負けになるから、これに反逆して、負けてはならないと、負けじ魂を形成していく。自然体では力に不足するから、勇気をもつ者は、戦いに意気込む攻勢的な高い士気を作り上げねばならない。
 ひとは、その本質において理性的自律の存在で、自然の覇者としてあるべきものである。恐怖に敗れ自然の強制のもとにおかれることは、尊厳を有した自律自由の人間にはふさわしくない。あるいは、人同士は、魚や爬虫類とちがい能力において似た者同士となっていて、各個人は自立的で自尊心が旺盛である。競争・闘争になると、「あんな奴に負けてなるものか!」と不屈の闘志を燃やし、負けじ魂の塊になる。おのれの尊厳を守らねばと、自らを鞭打ち、覇気をもって、危険排撃にと奮い立つ。
 勇気をふるう者は、強(こわ)く怖いものに対して自然的には弱い状態にあるが、攻撃に力を集中して非常の戦闘態勢をと気合をいれるなら、勝つ事が可能となる。勇気ある者は、その自律理性を攻勢的に働かせ、現実的な力となれるようこれを身体化して意気込み、その意志も気力も全力を危険排撃にと注いで、戦闘的精神・士気を高めていくことができる。


闘魂、チャレンジ精神-気迫と根性で勇気を貫く-

2012年10月02日 | 勇気について

5-4.闘魂、チャレンジ精神-気迫と根性で勇気を貫く-
 勇気を出すには、理性のリードが必要だが、思慮するだけの理性では、絵に書いた餅にとどまる。思うだけで実行がともなわないのでは、負け犬の遠吠えにとどまる。理性的に描かれたもの、あるべきものは、それの実現のためには、自身のなすべきこととしなくてはならない。普遍・観念にとどまるのでなく、個別・実在の実践的レベルに下りて、理性は、この身を動かすことが必要である。ネコに鈴をつけるべきだと大胆なことを思うだけではなく、勇気あるネズミは、恐怖に震えながらも、鈴を手にもってネコのそばへと己の足を運ぶ。そういう実行への能力を勇気は必要とする。
 勇気は、危険なものと戦う。勇気をもった理性は、危険なものの排撃にとおのれを集中し、変革意志として働き、さらには、おのれの身体的個体に降りていって、戦いにふさわしい姿をとり、闘魂・チャレンジ精神となる。あるいは、それは、身体的個別個人的な感性・感情・欲求が、戦う理性にと一体化したものであろうか。
 戦う勇気は、危険なものの危害を防ぎ、それを排撃する行動をとるが、それには、その危害を防ぎ耐える力が必要となり、艱難・辛苦への忍耐力が求められる。排撃するには、その攻撃力が養われねばならない。ひとは、適応能力にとむから、勇気をふるうたびに、そういう戦いのための理性と感性の総動員体制をとり、気迫と根性をもった果敢で我慢強い、より逞しい闘魂・チャレンジ精神を自らに育てていく。