ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

北海道は、冬・道路に融雪剤(塩)が大量に撒かれる。

2011-07-30 22:29:17 | Weblog


時々、怪しい空模様だったけど、雨は降らなかった。
東北地方を激しい降雨が襲っている。
なんか降雨による、河川の氾濫、堤防の決壊、土砂災害、が毎年繰り返されるようになった。
雨は、極端な降り方をしている。
確実に、この国の気候が変化して来ている。

今日は、朝からニセコに向かって走った。
今回の震災を支援する目的で、開催されたイヴェントにコールブーケさんが協力した。
主催者があったのかどうか?不明だし、仕掛けた人「は」いたのだと、思うけど、
多くの人に声をかけ、協力を要請したのなら、趣旨説明くらいあっても良かったのでは・・・と思った。
2~3行の文章でも良かったと思う。

私達は、プログラムの1番で、時間が来たので演奏した。
元気が届くよう、心を込めて演奏した。

夜に、NHKの「未解決事件」を見た。
今の犯罪は特に、地域に限定なんかされていない。
捜査側の横の垣根を崩さなければ・・・・と失敗が繰り返される度に・・反省されて来たけど・・・。

夕方、ストーリアのマフラーを直した。
「ぼうぼう」とうるさかった音が静まった。
北海道は、冬・道路に融雪剤(塩)が大量に撒かれるので、車の床下の部分がすぐに腐ってくる。
冬は、こまめに床下を洗わなければならない。マフラーが落っこちたり、床に穴が開くのを防ぐ為にも。

昨日から、日曜日レッスンの準備をしている。
「パリの屋根の下」優しいバージョンを書いた。
「パリ」には(空の下)(屋根の下)(橋の下)があると聞いている。
(空の下)くらいだと、ちょっとロマンチック、(屋根の下・橋の下)になってくるとロマンチックはなかなか浮かんでこない。

喜茂別辺りの国道脇で、「ゆでとうきび」が沢山売られている。
ニセコに住んでた頃は、近所の農家の方々からいただく「とうきび」が玄関先に山のように積み上げられたけど、
こうなってくると、1本で良いから、買ってでも食べたい気持ちに駆られる。
人間って勝手なものだ・・・とつくづく思う。

パリ空?・クンパルシータ?・「しっっしっっ知りません・・・」

2011-07-29 19:04:24 | Weblog


朝から快晴に恵まれ、豊平川の花火大会を祝福するかのような、夏空が広がった。

おばあちゃんは、ディサービスにでかけ、TOMOKOさんは、「ルゥ」とニセコに出かけた。
私は、朝からスーパーに出かけて、カレーの材料を仕込み、骨付きの豚肉カレーを作った。
後は、タコを冷凍し、透き通るほどにスライスしたサラダを沢山の野菜と盛り合わせた。
タコと野菜の「てんこ盛りサラダ」&夏野菜と骨付きポークの、和風カレーが完成した。
鰹でお出汁(だし)をとって、和風にした。

京都のお世話になった、中華屋さんでは、職人さん達が、夏になるとカツオ出汁(だし)をとって、
賄い(従食)用に冷麺を作っていたのを思い出す。お店で出す冷麺より、数倍美味しかった。
職人さん達は、お店のメニューには無い、裏のメニューをよくご馳走してくれた。
中華には無い、ソース焼きそばや、じゃ~じゃ~麺も良く作ってくれた。
変なオーダー出して、おたまで頭を叩(はた)かれることもあったけど、皆優しい人たちだった。

昨日は、東京のTOMBO楽器のTさんとマルカートさんで、最近の状況を話し合った。
グランドホテルの「OO43°」というレストラン・・昼時には叔母さま達が20人ほど列んでいた。
流石に列ぶわけにも行かず、静かな喫茶に場所を変えて話し合った。
国内のアコーディオンを取り巻く?状況は変わりつつある・・・・動きもある・・・・というのが、
大方の意見だった、と思う。楽器業界もインターネットの普及は、両面?あるけど、かなりの影響を受けている。
大袈裟に言えば、若い人がアコーデイオンに興味を持ったとしたら、世界のアコーディオン演奏を居ながらにして?研究することが出来る。
こんなスタイル、あんな演奏、そんな楽器、あんな楽器、自由に分析することが出来る。
・・・・で・・・・・この国では・・・どこに行けば・・・いいの???

非常に「閉鎖的」と言われ続けて来た、日本のアコーディオンの世界に対して、私は「もう・時間の問題です?・・・・」
という言い方で、解放?されて行くしか無い・・という意見を述べた。
ただ、今の状況では、若い興味しんしんの世代の、受け皿が、あまりにも「お粗末」な状況でもある。
アコーディオンを演奏するにあたって、避けて通れない基本形はあるとしても、
アコーディオンを担いで、若者が何を表現したいのか・・・?・・・それは自由だから。
それらを、むしろ支援する形で、わたしたちが学び、考え、若い人々に、アコーディオンの未来(ちとオーバー・・)を
切り開いていただかなければ、ならない。

私達がアコーディオンを学んだ頃は、そこ(先生の所)へ行かなければ、アコーディオンの情報(楽譜・録音・楽器自体)は何も無かった。
アコーディオンのメーカーも、TOMBOとYAMAHAとエクセルシアくらいしか(私は)知らなかった。
アメリカナイズされた、楽譜、アコーディオンの演奏、発声で、私達は学んだ(決して悪いとは言ってない、素敵な音楽だった、今聞いても・・・・)

時が進み、状況は変わった。

ネットのオークションで使えそうなアコーディオンを落札し、ちょっとペンキを塗ったくって、
ボタンはよく分からないけど、手探りでエーデルワイスくらいを、弾くことは出来る、
鍵盤だけなら、「ぱりぱり」演奏している人を、ネット上では沢山見かける。
アコーディオンって、なんだか面白そうだから・・・・・・それでOK・・・・・

1台の「ゴラ」を売ることより、100台の入門機種を人々に説明して、理解してもらって、試してもらうことの方が
アコーディオンにとっては、意味深いのでは・・・と思うこと『も』ある。「も」と書いたのは、徒労に終わることも考えられるから。
それでも、アコーディオンに興味を抱いた、若者や子供達に「な~~んだ・・・つまんね~~~」と思われないように、
様々な角度から、普段から、アコーディオンの可能性を見極めておかなければならない。
「かしこま」らなくても良いし、レベルを下げる必要も全然ない、少なくとも、アコーディオンが「こうあらねばならない・・・」という
杓子定規な考えには、落ち込まないよう気をつけている。

テレビで聞いた「パリは燃えているか』が格好よかったので。「弾きたい」とリクエストされれば、それに答える。
いつもハマっているゲーム音楽「隅田川夏恋歌」が「弾いてみたい」とリクエストされれば、答える。
(つまらない打ち込み音楽..という人もあるだろう)
パリ空?・・・??、クンパルシータ?・・・??・・・・・「っっっっ知りません・・・」
それよりも・先生!・・「福山雅治」が弾きたいのです!!!・・
よっしゃ!!「まかしとき!!」(なんかよう分からんけど?)アレンジ書いてくるから・・・・。

そう、何も変わっていません、当時の「若者」も小泉幸雄とその楽団や「緑の地平線 アコーデオン獨奏」に痺「し」びれました。
モスクワの・・・スーパマーケットへ通ういつもの地下通路、くたびれたアコーディオンを奏でるおじいさんの「バッハ」に
うたれて、その場から動けなくなったピアニストがいたとしても何も不思議ではありません。
音楽は、突然訪れます。多くの人ではなく、たったひとりの人がもし、「ああ・良いね」と涙を流していただければ
それで充分だと思います。月日が流れ、ピアニストがアコーディオンプレーヤーになったとしても、なにも不思議ではありません。
弾いてみたいと、思った時、必要で充分な、情報や手がかりが近くになければならない。
どこの楽器屋の店員さんでも、アコーディオンの説明が出来るだろうか?

疲れたり、腰が重くなったり、肩が痛くて上がらなかったり、ワン公しか相手にしてくれないとしても、
「黙って」弾き続けて行きます。

TOMBOのTさんは(日暮里)に、愛用機種ビクトリアの調整に来た、後藤ミホコさんの試奏に立ち会ったことを
昨日のことのように話されていた。それが私と同意見だったので、多いに盛り上がった。
・・・・そう・・・・そこまで「弾くのです!!」(後藤さんは)
多くの人が後藤さんの「パワ~~」にうたれています(うちのめされて・・・・・)

いろんなスタイルがあって楽しい。

明日は、ニセコ町体育館に向かって走る。







「グリル」のネットを張り替えた、すっきりした顔立ちになった

2011-07-28 05:55:37 | Weblog


雨が降ったり、通り過ぎたり、涼しい風が吹いたり・・・・
24時間の中で、寒暖の差が激しく、ステテコ一丁だったり、冬布団を被ったりしてる。
夏休みに入って、日中、路地のあちこちでこども達を見かけるようになった。

昨日は、SONOLAを持って、市内のアコーディオン大先輩宅に、お邪魔した。
「こんなんですけど・・・」とMMでドレミファソ~~~~と鳴らした瞬間、
大先輩は「っっっあ!違うね」と声を発せられた。
私の、ジュリエッティも良く鳴るけど、多分根本的に「リード」が違うかも知れない。
非常に「腰のある」しっかりした良い音色だ・・・・と評された。
それから大先輩は、SONOLAを抱えて、ず~~~っと放(はな)さなかった。

この辺の鳴りは「ゴラ」より良いかも知れない・・・とかなんとか「ぶつぶつ」呟きながら・・・
けしてSONOLAを放さなかった。
奥様に「お父さん!!・・・また・・病気(アコーディオンが欲しくなる)が出たんじゃないの?」と声をかけられていた。
「あれ(ジュリ)もアメリカチックな?曲には良いけど、これ(SONOLA)の音の方が・・・・」という結論に達してしまった。
私は「さあて」・・と考え込んでしまったけど、
この重戦車に挑んで行かなければならない。

大阪の師匠の家で、ぱっと音を出した瞬間から「違う」・・と分かった。
「違う」からと言って、自分が弾きこなせるかは、別問題だ。微妙な相性もある。
もう何年も前、コンテストの1年くらい前から、お世話になっている楽器屋さんがエキセルシアのコンチネンタルという機種を
貸してくださった。私の持ってるエクセルシア940が、あまりに酷かったので、見かねたのだろう。
コンチネンタルは左Bass部がリードボックス6列(普通は5列)という機種だった。
当然、Bass部は重い、2~3ヶ月弾き進むうちに、なんとか音が出せるようになって来た。
そんな経験もあるので、今回も、「いち」から挑戦してみる。
何度も、持ち替えて弾いてみたけど、明らかに音色が違う、
不思議なことだけど、あれほど一生懸命弾いていた、ジュリエッティを持たなくなった。

豊平川の花火大会であったり、夏のイヴェントが続いて行く。
北国の夏は右を向いたら・・・終わる。左を振り返る暇はない。
お盆過ぎには、秋風が吹き抜けて行く、「今日も、っっ暑いですね~~」と言ってるうちが華なのだ。
直ぐに日だまりがとても恋しい季節が来る。

昨夜、一晩かかって、SONOLAの「グリル」のネットを張り替えた、すっきりした顔立ちになった。

その場所を・奪いさる権利は・誰にも無い

2011-07-27 07:07:40 | Weblog
夜半に激しい
今は

散歩に飛び出したら、道路が濡れていた。
そうか・・・夜中雨の音だったんだ・・・
湿度を取り去った空気はキリリとしていた。

昨日は、走った・走った。
それでも、車窓からは、イモの花と黄金色の麦畑を眺めながら
・・・スピ~~ドスピ~~ドうれしいな~~・・・と次の目的地まで行けるので
それほど苦にはならない。

午前中ニセコの公民館で、コーラス指導
そのまま倶知安に走って、ミソチャ~シュウメンと給油、ロトの当たり分を換金
ひらふの知人宅で、近況雑談(羊蹄山麓の原発問題に関する町村の取り組み)について
午後からニセコ町の公民館で、大正琴の指導、
越後絶唱、高校三年生、せんせい、くちなしの花・・・遠藤先生の作品集・・ラ・クンパルシータwith おっさんのアコーディオン。
その後、洞爺湖まで走って、アコーディオンレッスン・・・・中山峠を越えて帰宅 with 2ズッキーニ。

コーラスでは、宿題が出された。
「また君に恋してる」2部~3部への編曲 inGm、「Believe」・・・・こちらも書かなきゃ・・・ならないか?
YAMAHAさんで、既成の女性コーラス譜を探してみるけど、音域の関係で、どうしても書き直さなければならない場合が多い。

ホームセンターの家庭菜園用に売られていた、腐葉土から放射能が出た・・・・そう普通に・・・・
稲藁だけが沢山放射能を浴びて、木の葉、草、土、は、あんまし浴びていない・・とは考えにくい。
これからも、普通に放射能に汚染された様々なものが出る。
「国が定めた」・・これがかなり怪しい・・
何が「通常基準値」で何が「暫定基準値」なのか・・・・
暫定なんて・・このくらいの値(あたい)にしとかなきゃ・・・物事何にも進めなくなるから・・・
みんな我慢しなさい・・・で決められている・・・と考えられるのが普通。
でなければ、至る所で、物資の流通が滞るし、経済活動が成り立たなくなる。
「それくらいのことは」ガイガーカウンターが振り切れたときに、「国も」考えた。
「今の基準値では モタナイ」・・・・何が?・・・・いったい『何』がモタナイのですか?・・・
「こりゃ・・・えらいことに・・なりまっせ!!!!」
・・そう・・・「っど・えらいこと」になったんだ!!。

そう・・・電気は必要なんです・・・
それと・これとは・・同じ次元で話されて欲しくありません。


     いつも・すてきな?・風が・吹く場所が・あった
     どうしようもない時・そこへ行って・「ふっ」と息をした
     そこでは・草木たちの・良い匂いが・あらぶる心を・鎮めた
     たとえ見えないものに・汚されていたとしても
     わたしは、そのすてきな?・風が・吹く場所に・行きたい
     その場所を・奪いさる権利は・誰にも無い
     




私達があまりに鈍感だったりすると・・・・・・

2011-07-25 23:43:45 | Weblog


目が覚めたら、かろうじて月曜日だった。

朝から、ちょっと蒸し暑い一日(東京や大阪の人には言えないけど・・・)だった。
おばあちゃんは、近くのデイサービスセンターヘデビューする日(本人はすっかり忘れていたけど・・・・)
9:00時頃、お迎えのバスが扉の前に停車して、いそいそ?出かけた。

娘と娘婿と茶色のワン公が一匹、お見送りをした。
娘と娘婿は午前中、用事を足しに街に出かけた。
お世話になった方々に、お中元?を送る作業だった。
20数件の宛先を二人で、せっせと書いて、COOPの叔母ちゃんに、お願いした。
ついでに南14丁目のピザとケーキの店で、昼食を済ませた。

茶色のワン公は「私一人置いてきぼりにして・・・もう・・・」とご機嫌斜めだった。

昼から、SONOLAのチャンバーを弾き続けた。
どうかな?どうかな?・・・とあれこれやってみた。
分かったことは、かなり手強い相手・・・ということだった。
しっかり弾かないと、良い音を奏でてくれない・・・・・
小手先で・・・なんとか・・・と挑んでも、ぜんぜん相手にされない。
「はぁ・・・・」
時間をかけてやって行くしか無い。

今週も、なかなか気が抜けない。
明日(火曜日)ニセコへ・・・コーラス/大正琴・・・その後洞爺湖へ出張レッスン。
(水曜日)お休み
(木曜日)午前中、東京の楽器メーカーの人、プラス・マルカートさん、私でお『話?』グランドホテル北緯43°(札幌の状況分析) 午後:自宅レッスン
(金曜日)エルム教室10:00~15:00j時
(土曜日)震災支援コンサートinニセコ、朝からニセコに走る。
(日曜日)真駒内教室13:00~21:00
8月1日(月曜日)9:30分 ANA航空券超早割10月~12月(解禁日)11月お招きするゲストの航空券を全て手配(これは忘れそう・・・)

夜遅くになって、震災支援コンサートinニセコで使用する、歌詞カードを打ち込み、100枚コピーした。

ニセコ町のうた
夏の思い出
翼をください
花の街
Believe
故郷

大阪の「神出高志」さんから7月20日リリースされたばかりのニューアルバムが送られて来た。
Lady Bird Lake
神出さん何年も前に、ニセコのユースホステルを訪ねてくださったことがあった。
その頃は、ビクトリアのフリーベース(鍵盤)を愛用されていた、
その後、ボタンアコに持ち替えられ、
ホーナーの「モリノ」に出会われた、それが決定的な「出会い」だった・・とご本人も何かに書いてたと記憶する(聞いたのかも知れない)
独自の感性と音楽性、ジャズピアニスト(当時はまだこちらがメインだったとお聞きしていた)からアコーディオンへ・・・・
アコーディオンへの思いは、非常に深い・・とあの頃から感じていた。

今回のアルバムにはそれらの思いが、「ギュッ」と詰まっている。
「モリノ」のリード1枚1枚の響きがあまりに鮮明なので、なんか他の種類の楽器をはじめられたのか?・・と錯覚しそうになる。
1曲1曲と言うより、アルバム全体を通して、美しい物語を朗読した・・・・そのような印象を持った。
彼は、演奏もさることながら?『聞き手』の音楽性だったり、感性だったり、心の「ありよう」を大切にしている。
これで・どうだ!!・・・とは決して言わない人だ。
私達があまりに鈍感だったりすると、なかなか、彼の音楽は染み込んでこない。


文化への認識、サポート不足・・・のお話(嘆き)!!

2011-07-24 23:21:11 | Weblog


真っ白い馬鈴薯の花がお隣の金色に輝く麦畑に負けないくらい美しく
青空に映えてこの時期の道南の風景にやさしさをプラスしていました。

週末お天気に恵まれて洞爺湖の温泉旅館で開催されたHAA夏期研修会
20名を超える参加者の協力を得て無事終えることが出来た。
参加していただいた、会員の皆様、友人・ご家族の皆様
本当に、お疲れさま、そしてありがとうございました。

翌日曜日のホーム慰問を仲間にお願いして私は倶知安町文化福祉センターへ走った。
「倶知安えぞふじ合唱団25周年記念演奏会」にニセコ・コールブーケが招かれた。
午前中のリハーサルは私達のメンバーが揃わず、練習にならなかったけど、
午後の本番は普段の練習とおり、まあ・・・リラックスして発表出来た
会場のお客様から「良かったよ・・!!」という声をかけていただいた(めったに無いこと・・・・)

わたしのオリジナル「このぬくもりをあなたに」作詞作曲:くぼたつお
心の花園より「四季の花園」作詞:小林純一、作曲:中田喜直
「イタリアメドレー」(アコーディオンと共に)サンタルチア・帰れソレントヘ・オーソレミオ
控え室で幾つもの合唱団を指導されているF先生から、昨今の合唱団事情、部員不足、各地方自治体の
文化への認識、サポート不足・・・のお話(嘆き)が繰り返された。
ニセコさんは「アコーディオン」っていう目玉がある・・・とも評されていた。
苦肉の策です。
ピアノとコーラスの「隙間」へ滑り込ませるのは、大変なんです。
出しゃばってもダメだし、アコーディオンの良さも、少しはアピールしたい・・・・。
ピアノ伴奏とアカペラが多い中で、アコーディオンの音色は
会場の雰囲気を「ガラリ」と変える

倶知安文化福祉センターはとても懐かしい場所・・・・・
倶知安町民だった頃は、何度も何度も利用させていただいたり、
招かれて演奏した・・・・流石に施設には年期が入った。

夕方、札幌に帰ると、名古屋から調整を済ませた、「SONOLAのチャンバー」が届いていた・・・
手だけ洗って、早速、鳴らしてみた・・・・・これから・・・・・・少しづつ・・・・・・・

夕食をいただいて、眠りこけた・・・目が覚めたらかろうじて・まだ・日曜日だった。





慮(おもんばか)る「ふり」をしているだけなのかも知れない・・・

2011-07-23 07:38:14 | Weblog


晴れた。
昨夜は、長袖を着用してパソコンの前にいた。
何を着れば良いのか、判断に苦しむ気候となってきた。
おばあちゃんは、「寒い」と言ってる。
そう・・・大阪だと・・・晩秋かも知れない。

名古屋のS大先輩が、「お宝なんでも鑑定団」に出演が決まった!!・・・と連絡をくださった。
ピカソのリトグラフと重いアコーディオンを抱えて、東京に出向かれる。
放映は8月に入ってから・・・。
番組の中でも、アコーディオンの演奏をされるらしい・・30秒ほど・・・・
ひょっとしたら、ピカソのリトグラフより、大先輩のアコーディオン(ゴラ)の方が良い値段がつくのでは?・・という
心配もある。

今日は、HAA(北海道アコーディオン協会)夏期研修会、毎年、ニセコの私の校舎で開かれていた。
1年に1度、仲間が集う楽しいイヴェントだから、メインは懇親会だけど、
「かたち」?として、アコーディオンの奏法上の「学び」の講習会もくっついてる。
ことしは、「ベサメムーチョ」1曲に絞った。
A(初心者用)とB(中級者用)のアレンジを用意し、A・B・それぞれに練習法を用意した。
普段のレッスンで、年配の方々が苦労される箇所を拾い上げ、それをクリアーするための
練習法を考えた。協会には、アコーディオンを弾かない人から達者な人まで参加しているので
なかなか全てを伝えきれない部分もある。
時間も限られているので(早く温泉・宴会に・・)こんな練習法も「ある」・・・という程度で終わる。
付録として「北酒場」ルンバ、を1曲書いて用意した。

私達は、人とのつながりの中で暮らしている、製造業の人、サービス業の人、役所に勤める人、個人営業の人、様々だし
どこかで、何かの形で、繋がっている。基本的には、御上に不平不満を言っても、強制労働の畑に追いやられることもない、
信じる対象も憲法で「まあ・なんでも良いよ」と定められている、イワシの頭であろうと、石ころであろうと、救われると
思うものは、対象は何でも良いよ・・・ということに。
「突然」テレビ画面が真っ黒になることも、インターネットが切断されることも無い、ただ、監視はされていると感じる。
監視ロボットは24時間ネット上を、様々な任務を課せられて働き続けていると聞かされている。
特定企業の商品を名指しで、批判すれば、
たちまち「当社の製品に関しまして、ご指摘のような(こと)はございません、今後そのような事実に反する発言をされる場合は法的な・・・」という
書き込みが帰ってくる。必ずOO社のパン・OOO社の歯磨き粉と書かなければならない。それは普通だ。

元々、私達はフランクに意見を交わすことが苦手だった。
教育の場でも、「意見を述べ合う、意見を交わす」訓練は、頭に詰め込む事柄に比べると、皆無だったと思う。
こうして・こうして・こうしたら・こうなる・・・という説明を、
「あんたのお父さんはOO県の出身だそうだが・・・・・」くらいから話がはじまる、それは普通だった。
こうして・こうして・こうしたら・こうなる!!・・・・どうだ!!・・・が全て現状・実情に適して正解かとも言い切れない。

話が長い・・・・。

相手のことを慮(おもんばか)る、国民性なのかもしれないけれど、ひょっとしたら慮る「ふり」をしているだけなのかも知れない。
相手のことを考えれば、も少し「率直」に自分の意見を述べた方が良い場合もある。
時代は、「それ」(率直に意見を述べ合うこと)を求め続けていた。
今、乗り越えられなかったら、非常に困難な時代が訪れる気がする。

レジメ、楽譜の準備に追われる

2011-07-22 06:08:27 | Weblog


寒かった。
今朝は、春先に着用しているウィンドブレーカーを羽織って散歩に出たけど
寒かった。

牛だけが、放射能汚染されて市場に出たように報じられているけど、
他の農産物、海産物、にはまったく何も触れられていない、
メディアも「牛が・・・牛が・・・」とこぞって言う所が、なんか「変」だと思う。

ちょっと、想像力を働かせれば、誰でも分かることなのに・・・・

現実的に、地理的に、すでに「傍観者」ではありえない私達だけど・・・・誰も・何も・言わない。
若い人々が、幼い子供達がどんどん、取り返しのつかない状況に追い込まれて行く。

今のままでは、守れない。

事故は起きた、ガイガーカウンターは振り切れた、問題はその後だった。
地球上の誰もが経験したことの無い惨事かもしれないけれど、
「知ってて」隠す(危険を)のは犯罪行為に等しい。
こうして無知で「一見」お人好しの私達は「繰られ」続けて来た。
そうして今のこの国の「かたち」があるのだ!!・・・と言われればそれまでだけど、
その「かたち」はも少し違った「かたち」になっていたかも知れない。
それらの責任は私達にある。

昨日は、素晴らしい晴天の中、ニセコまで走った。
わたしのボロ車のマフラーがひび割れて「ぼーぼ~」うるさかったけど、風が爽やかで良かった。

今日は自宅レッスン。
明日は、洞爺湖でアコーディオン研修会、
日曜日、午前中、壮瞥町のホーム慰問演奏、午後は倶知安町でコーラスの発表がある。

レジメ、楽譜の準備に追われる。

「無為の時間」・・・・・・

2011-07-21 00:55:16 | Weblog


朝夕は北国特有の冷んやりした季節、
大阪の最低気温より、根室・釧路の最高気温の方が、はるかに低い。
天気予報を見ると、20度を超えない日がある。

細川たかしさんの「北酒場」とビリーバンバンを坂本冬美さんがカバーした「また君に恋してる」を書いた。
「北酒場」はBassでルンバを叩く、応用編として夏期研修会用に書いた。
「また君に恋してる」は老人ホーム慰問用に書いた、NHKのラジオ深夜便から出て来た楽曲だったと記憶している。
その同じ頃、山崎ハコさんが、素敵な自作曲を歌ってた・・・・こちらは出てこなかった。

NHKラジオの深夜、3:00時~4:00時ころのニュースのネタ(取り上げられる内容)とお昼のニュースのネタが
『微妙に』違うと感じている。お昼だったら、こんな内容あまり取り上げないだろう・・・・というネタでも深夜であれば
アナウンサーの口から報じられることがある、布団の中で「へ~~~~っ」・・・と感心して聞いている。
私の考え過ぎかもしれないけれど・・・・・・

あまり、長い時間、眠れない。

学生時代の友人Oから、手紙が届いた、引っ越しの挨拶葉書を見たからだと思う。
日本でも有数の素晴らしいステンドグラスを制作している。

彼の実家は島根県の松江だった、
学生時代、フォークグループの合宿で早春に使わせていただいた記憶がある。
松江という街は、とても詩情豊かで趣のある街だった。
自炊しながら6人?で何日か過ごした。
Oの両親は仕事の関係で、広島にいた、松江の実家は空き家になっていた、大きな屋敷だった。
朝からガンガンギターを叩いて、練習していた、当初ウッドBassを使っていた私達も、その頃はエレキBassに変わっていた。
京都駅から、そのエレキBassのアンプを担いで、特急「出雲」だったのか「大山」だったのか忘れたけど乗り込んだのを覚えている。

鏡のような宍道湖と落ち着きのある古い町並み、倉につけ込んであった沢庵の樽(古漬け)から毎朝せっせと
大根を掘り出していただいていた。ちょっと酸味のかかった沢庵は絶妙に美味かった。
大学4年生の最後に「Nothing」は、京都会館小ホールで「さよならコンサート」をして解散した。
西岡たかしさんのカバー「まぼろしの翼と共に」1曲の他は全て、オリジナルだった。
そのとき、ラストコンサートの練習で、話声は「かすかす」になったけど、歌声は「普通」に歌えた・・・を経験した。
プロのミュージシャンだった私の母親が聞きに来ていてくれた(そんな暇あるはず無いのに・・・・)

私達の心の「弾力性」や「柔軟性」や「豊かさ」って「それ」が柔らかい内に、その時は「意味」さえ分からなくても
どんどん吸収し、カッチンコッチンの石ころの「それ」になってしもうた後半戦(7回裏)でも「バックボーン」として幼少期に取り込まれた
「世界観」が支えてくれている・・・・・・そんな気がする。
金があったとか、なかったとは別に、そんな風に思えることが、非常に恵まれていたのだと全てに感謝したい。
それは、静かな町並みだったり、手掴みした鮒のぬるっとした感触だったり、トンボを追いかけた夕焼けの空だったりするのだろう。
「無為の時間」・・・・子供のころ・・・・どれほど「無為の時間」を過ごせたのだろうか・・・・

友人のOは、幼少期から色彩感覚がずば抜けていたと聞く、
山並みの葉っぱの色、一枚一枚を違う色で表現出来る人だった。
今度、大阪に帰ったら連絡しようと思う。

『絶対安全』という言葉は無い・・・・

2011-07-18 08:24:44 | Weblog
霧・雨・・・・・・

涼しい日が、続いている。
昨日あたりから、インターネットの接続が、妙に悪くなって来た。
階下・階上でも同じ状況。
無線LANで接続しているけど、ぜんぜん繋がらない。

昨日は、ガンゲット・ダイマ主宰「下町のパリ祭」が東京ドームホテル・札幌で開催された。
110人を超えるお客様が詰めかけ、30組のパフォーマンスが、矢継ぎ早に紹介されて行った。
アコーディオンの演奏自体は少なくて、なんでもありの演奏内容に、それだけで、お腹が一杯になった。
皆・エネルギーに満ちあふれ、老若男女を問わず、キラキラ輝いていた。

極力押さないよう、タイムキープをするクミコさんは、大変だった。

今朝は、3:30分に起きて、サッカーを見た。
奇跡と言えば、選手の皆様に申し訳ない気がする。
勝つべくして勝った・・・・・と言った方が正解だろう・・・・
でも、実際に試合の流れを見ていれば、けしてそのようには楽観出来なかった。
ゲームが最終段階に入って、アメリカの選手達の表情に変化が見え始めた。
ここまで、日本に粘られる・・・とは思えなかった、信じられない、「ひょっとしたら・・・・・」
アメリカ選手の表情に困惑が読み取れるようになって来た。
逆に、日本選手の表情はすっきりしていた、やるべきことをやるだけ・・・・
PK戦の円陣の中、皆に笑みがこぼれた。

PK戦を、1-3で日本がとった。
涙がとまらなかった。

札幌の夏は、もう過ぎたのか、後は秋風を待つ・・・・・そんな雰囲気になりつつある。
昨日のコンサートの帰りに、家の近所で大きな交通事故を目撃した。
ちょうど、3日前に自動車事故に遭遇した知人のお見舞いに立ち寄った帰りだった。
パトカーが3~4台、消防車1台、救急車1台、道は完全に塞がれ、大きく迂回を余儀なくされた。
道路の真ん中には、前の部分を大破した乗用車が放置されていた。
警察官の誘導で、躊躇無く迂回を迫られたので、事故の状況は分からなかったけど、
住宅街のそれほど広くない道幅、南沢小学校の前だった。

私達は、日々、車を運転している、細心の注意は払っているけど、
思いがけない場所、心のありようで、事故に遭遇する。

『絶対安全』という言葉は無い。

今日は、キクヤさん・エルムさんのレッスンに出かける。




全国から「アコキチ」が集結するホットな一日になる

2011-07-16 06:05:58 | Weblog


霧雨のような・・・・
東京から三女が来たけど、「寒いくらい!!」と感想を述べた。
東京の暮らしは、とにかく、頭や体中の血液を『沸騰』させないようにするのに「苦労」する・・とも言った。
夏の北海道は、天国らしい。

TOKOさんが、手風琴倶楽部のホームページを更新してくださった。

http://www.geocities.jp/sapporo_tefukin/lesson.html

私の教室の案内もしていただいた。

明日は、東京ドームホテル・札幌で、第10回「下町のパリ祭」(Daima主宰)が開催される。
全国から、アコーディオン弾きが集合する。
参加人員は110名と聞いた。
大きなイヴェントになった。
札幌は、北の外れだけど、アコーディオンは「とんでもなく」熱い場所になった。
派手さは無い・・・・・けれど・・・・・皆の内に秘めたる思いは「熱い」と思う。
アコーディオンという楽器自体に人々を夢中にさせるエッセンスがぎっしり詰まっているということなのか・・・・

最近、私の教室に、ピアノを弾く方が、何人も来ている、
ピアニスト、ピアノの先生、子供の頃からピアノを引き続けている若者・・・・・etc
こちらが「学び」たいくらいだけど・・・・
空気をどのように使って・・ある時は「シャープ」にあるときは「緩慢」に・・・・どのように音色や柔らかさ・鋭さ・を『表現』するのか
縷々・・説明してゆく・・・理解は出来てもなかなか自由な「表現」には至らないのが現実でもある・・・蛇腹8年(by・coba)

多くの人を夢中にさせる、魔法の箱とも言える。
そう・・・・簡単には・・・・・思い通りに・・・ならない・・・・秘密が隠されている。

昔、私達の大先輩(北海道にも沢山いる)は700円で家が建った時代に、一台500円のアコーディオンが欲しくて欲しくて
ショーケースの前を離れられなかった・・・・という話をよくしてくださった。
自分で稼げるようになって、小さなアコを手に入れた時は、「天にも舞い上がる」喜びだった・・・・・らしい。
そんな先輩が奏でる音色は、実に美しい。
アコーディオンへの「思い」が凝縮してしまっているから・・・・私達若造の比ではない。

そして、老若男女を巻き込んだ、歌あり、演奏あり、踊りあり、大人の「パリ祭」が、明日開催される。
10周年記念ということで、ホテルが用意された、いつもは「あの」ジッピーホル(東警察署向かい)
Daimaの副店長、クミコさんは、自他ともに認める『アコキチ』それ以上でもそれ以下でもない、「そのもの」と言われている。
「そのもの」に・・全国から「アコキチ」が集結するホットな一日になる。

そう「趣味だよな!!」歳いって、「趣味」が無いのも寂しいよな~~

2011-07-14 03:27:57 | Weblog
が降り始めた。
今日は、全道的に雨。

サッカーの試合を見ようと、1:00過ぎに目を覚ました。
雨の音が聞こえる。

昨日、北海信金ニセコ支店で、奴ちゃんに偶然あった。
「よっ・・・!」
いつも彼はそう言う。
私は「元気か!!・・・」
といつも聞く。
ひ~~~~~さしぶりだったので、「昼飯食おう!!」ということになった。
車2台で近くの食堂に行って、カレーライスを注文した。
メニューを見たけど、それぐらいしか食べれるものが無かった。
二人とも、ず~~~~っと飲食に関わる仕事をしているので(私は卒業した、彼は現役)
メニューをみれば、だいたい想像がついた。
いつもは昼抜きの彼に、私がつき合わせた形となった。

食堂では、最近の様々な情勢?について意見交換が行われた、
あまり大声を出さずに、ひそひその部分もあった。
儲かりもしないロト6や賭け事の話にも花が咲いた。
彼は、若い頃、泊村の「ブルーホライズン」という宿泊施設にいた。
海に沈む夕日を見ながら、ギター片手に女の子を口説くのが得意な人だった。
私達も、夕日を見る為に、泊村の海岸には何度も通った。
ロマンティックな話だ。
今は行かない。
ヘルカルウスの海岸にももう入れないし、
その場所には、第一・第二・第三・とサティアンがそびえ立つ。

奴ちゃんも、私も、食べる為に何でもした、そう、普通だった。
同じ土建屋さんで、スコップ持ってたし、同じでんぷん工場で、20Kgの袋詰めを、一日に何百とこなしてた。
早朝から、ニセコじゅうの電気のメーター機を見た歩いたりした。
彼は、スキーを付けて、山の向こう側までメーター機を見て歩いた、まじめな人だ。
私は、春までぶん投げといて、よく叱られた。
冬に、電気カーペットや凍結防止のヒーターを使う別荘とかが多かった。
人里離れたそのような場所は、先ず、メーター機までたどり着くのが大変だったし、
スコップもって、掘らなければメーター機は出てこなかった。
適当に数字を入れといて、春から調整しよう・・・なんて考えてたら、
調整出来ないくらいメーター機がぐるぐる回っていた・・・ことがよくあった。

そう、食べる為に何でもした、普通だった。

当時は、なんか変な人がいっぱいおった・・・で二人の共通認識が一致した。
一日に、職務質問を3回受けた人とか、日本を徒歩で、3周している人とか、金を払って同じ宿泊施設に147連泊している人とか、
数え上げたらきりがなかった。
それでも、皆、なんとか??やっていた・・・・(何を?)

そう!!・・・・「何もしない」・・ことを、延々とやっていた。
それらが、許されたというか、許容されたというか、懐が深いというか・・・そんな時代もあったネ・・・・で二人の意見は集約された。

彼は、ビートルズのイエスタディーが弾きたいと「アコーディオン」を学んだこともあったけど・・それは挫折した。
一生懸命、練習すると、無意識に汗をかいたり、涎が出ることに・・・そんな自分に我慢出来なかった。
彼はそう言う意味で、とてもお洒落だったと思う。

二人は、この後、くたばるまで、どうしようかね~~っと心の奥底をちらっと見せ合うことも忘れなかった。
そう「趣味だよな!!」歳いって、「趣味」が無いのも寂しいよな~~

そんなことを言い合って、私は大正琴の叔母さま達が待つ、体育館へ・・・・彼の希望の「星」をあとにした。

夜でも見れる時計、夜でも足下を照らし続ける常夜灯・・・etc・etc・・・・・

2011-07-13 07:24:21 | Weblog


生憎の曇り空、その分、気温の上昇はちょっと控えめ・・・。
札幌も、日中、気温は上昇するけど、『おおさか」を経験した後だから、
夕暮れから朝方、窓から流れ込む冷気を・・・しみじみ・・・・ありがたいと感じている。

おばあちゃんの札幌移転を応援してくれた、次女は心を決めて?(暑さに)東京に帰って行った。
最終便の千歳まで、送る。

月曜日から、おばあちゃんの住所変更、保険、介護、障害者手帳、その他の変更で、区役所、郵便局、銀行を行き来する。
昨日は、ケア・マネージャーさんが見えて、今後の打ち合わせをする。
車椅子のレンタル、家の中に手すりの整備、浴槽のかさ上げ(深すぎる)それらの工事もまた、補助の対象になると
教えていただく、車の税金が減免されたり、札幌市からガソリンの補助が出たり障害者への優遇措置を教えられる。
先日のANAの係の職員(女性)は千歳空港の駐車場まで、車椅子を押してくださった。

混迷を極める世の中になってしまったけれど、誰かのせいにするのは容易い。

不動産屋さんが、工務店の社長と訪れ、崩れ落ちそうな和室の内窓と、開けられない、大きなベランダの窓を
見て行った。それにあわせて、破れ網戸、小さなベランダの修理にかかる(自分で・・・)

おばあちゃんの部屋でも、テレビが見れるようにした、昨日、YA・・電気屋さんのケーブル・ブースター売り場で
1:00時間くらい学習した。一つのアンテナで地デジテレビを2台見る方法、電波が非常に弱い地域なので
増幅器を取り付けないと、何も写らない、A・B・二つの方法を思いつき、Aから試してみた。
Aで大丈夫だった。

夜でも見れる時計、夜でも足下を照らし続ける常夜灯・・・今日は仏壇を買いに行くと言っている。

私は、朝からニセコに向かって走る。
大阪で見つけたアコーディオンが2台ほど、(明日)届く予定。
ワクワクすることもある。

明日は自宅レッスン、金曜日は(足された)エルム教室、土曜日が休みで、
日曜日、Daimaの「下町のパリ祭」・・今年は市内のホテル、
月曜日はキクヤ・エルム教室レッスン・・・と続いて行く。

大阪の暑さの「残像」は身体に少し残っていたけど・・・・

2011-07-10 07:19:56 | Weblog


夜半から、強い雨が降り出した。
朝方は小止みになっていたので、「ルゥ」と表に飛び出した。
この「空気感」がたまらなかった
ヒンヤリしていて・・・・・

大阪の暑さの「残像」は身体に少し残っていたけど、
昨夜は、ゆっくり眠れた・・・・5日ぶりだ。

後にも、先にも進めない「人」が、本気になって、この国のことを思い、
人々のことを(永田町界隈の奴らのことなんかどうでも良い)思い、
メディアからなんとパッシングされようが、仲間から?非難されようが、
命をかけて、「やる」というのなら、歴史に残るだろう!!

そう・・・・人々は、永田町の力関係・論理・決め方から・今度こそ、脱却出来るのではないか・・・と期待した。
そして、今の段階で、原子力発電に不安を抱いている人はかなり多いと思われる。
「虎の尾」を踏もうが、何を言われようが、それら「今までのやり方に固守する輩」と別の「枠組み」を作ると言うのなら、
それは一つの、「かくめい」になるかも知れない、はたしてそれが、この国で可能だろうか・・・
私達は、あまりにも、ぬるま湯に浸かり過ぎ、なら「されて」しまった。

インターネットを含む多くのメディヤが、権力・金力を持った人々に、都合良く利用され、
これが「私達の現状で・・・こう・・あらねば・・・」と『まことしやか』に、いとも簡単に「世論を操作されてしまう」時代にあって
「あまりにも巧みすぎる情報の操作」に私達は気づかず、日々流されている。

所謂「搾取」は品を変え、形を変え、手触り、匂いまでも変えて、延々と繰り返されて来た。
人々は、ここに来て、『気づき』はじめている。
民を愚弄し続ける「権力」は・・いつかは滅ぶ・・と信じたい。

1972年、沖縄が返還されたその年に、はじめて、本島を自転車で回った。
太平洋戦争の悲惨な爪痕、そして、何処を走っても、米軍基地の金網に行く手を阻まれる沖縄の現実を
この目で見た当時と、何か、変わったのか?・・・と自問している。

話は冒頭に戻るけど、本当に、この国を思い、人々のことを思い、命をかけて「やる」というのなら
どんな「船」にでも乗ろうと思う。

毎日曜日のレッスンに、月2回、金曜日レッスンが追加された、
生徒さんが集まれば、それは嬉しい。
今日は真駒内のレッスンに出かける。





炎天下は日傘をさして・雨が降れば雨傘をさして・・・・

2011-07-09 20:03:04 | Weblog


15:00時に千歳空港に降りた

炎天下、堺のおばあちゃんの家から徒歩でコンビニに向かう、
5分と歩かない内に、体中(からだじゅう)の血液が沸騰しそうになる・・・・
慌てて・・?和歌山~大阪線(国道)沿いのスタバに避難する、冷コー(アイスーヒー)を一杯ひっかけて、
一息つく、そう、涼みに来ている、お年寄りが多い。

意を決して・・・再びコンビニに向かう。
朝刊とその日、消費する水(天然水)を5~6本買って、急いで帰る。
おばあちゃん家(ち)の2階はク~ラ~が入っているので、そこも避難場所になっている。
日中、ク~ラ~無しでは、結構きつい。夜はなおさらきつい。
夜、2階の窓を開けて・・・と思うけど、外気の方がはるかに暑いので、開けられない。

7月5日、15:00時頃、関西空港に降り立った。
関西空港は、海上に浮かぶ島なので、少しは海風を感じられる。
JRで天王寺へ向かった・・・・・地下鉄谷町線、南森町下車、天満の師匠の自宅へ直行する。
以前に、一度、訪れているのだけど・・・もう、ぜんぜん忘れていた。
あらぬ方角に歩いて、1.5Kmほど逆戻りした、全身から汗がほとばしった。

この秋、90歳になる師匠は、お元気そうだった。
昔の話を沢山聞かせてくださった。
エキセルシャー・シンフォニーグランド(コンチネンタルモデルの前身)、チャンバー・ソノラ等、レアなアコーディオンを
試奏させていただいた。良い?アコーディオンは、パンって鍵盤を叩いた瞬間の音が、もうぜんぜん普通のアコーディオンと異なる。
音の立ち上がり、音の輪郭、音色が違う。左右のバランスも良い。
しっかり弾き込んで、自分の音色を作る(鍛える)時もあるけど、それ以前の・・・・アコーディオンが持つ基本的な作り・・・
いかに丁寧に仕事がなされるているか?・・・によって、その後の音色ははっきり変わる。

翌日は、ペットボトルの水を2本もって、地下鉄中央線の9条駅まで行った。
古い九条商店街を通り抜けて、nneneroro(ネネロロ)『neroneroだと思ってた』へ行った。
最近?なのかな・・・・アコーディオンの修理を手がける店。
10Kg未満の軽いアコを試奏させていただいた・・・・いろいろある。
途中、老舗の和菓子屋さんで、くず豆腐を一枚とみかんゼリーを3個買って帰った。

炎天下は日傘をさして、雨が降れば雨傘をさして、子供を後ろの荷台に乗せて・・・・・大阪のおばちゃんは、国道を「自転車」で走る。
細い国道(北海道じゃ考えられない)を車とすれすれの道路脇をするする走って行く。
凄いテクニックだ。

大阪に5日いた。
暑かった。
帰りに、あぶりバッテラと柿の葉寿司・神戸の豚まんを空港で買った。

明日から、また、レッスンが始まる。