東急東横線、都立大学駅から「めぐろパーシモンホール」までは
歩く長い人の列が続いていた。
ホールのロビーで、東京のS氏に声をかけられ、
出演者のC.D.を買うと,コンサート終了後の「握手会?」に
参加出来ると教えられる。名古屋のK氏にも声をかけられ、後でと
約束してS氏と席に向った、同じ列の二番違い、お互いとても体格が良かったので
二人して,隣同士でなくて「良かったね??」と胸を撫で下ろした。
あの席に,二人並ぶと流石に暑苦しいと,お互いに感じた・・・・・。
シートはみるみる埋め尽くされ、誘導灯も含めて明かりは全て落とされた。
夢のような2時間は瞬く間に終了。
終演後のC.D.売り場は黒山の人だかりとなった。
やっとの思いで、マロッコさんのC.D.を一枚購入、「握手会?」
参加整理券はもらったけど、恥ずかしくてパス、
諸先生にごあいさつをして・・・・
S氏と、K氏と新潟の田中さんと真駒内教室に通うKEI君と5人で
渋谷に出た、夜の10:00時頃でも,ハチ公前は、なんだか人が溢れて
いて異様な光景だった。暗闇のスクランブル交差点をテレビコマーシャル
のごとく人が渡ってゆく・・・・・・。
北海道2名、東京1名、名古屋1名、新潟1名のアコーディオン好きが
渋谷の居酒屋で終ったばかりのコンサートを振り返っていた。
翌朝,携帯に40年前の幼なじみY君が連絡を待ってると,家からメール
が入っていた。Y君は現在銀座のYAMAHAに勤務されている。
昔、武庫川の川原で遊んだり、四国の室戸岬まで自転車で走った仲だった。
ただ、中学校以来,会ってない。最近,彼がネット検索で私を探し当ててくれた。
「昔,常松の字ゲンダラに住んでいた・・・・・」というe-mailを頂いてから
連絡を取り合っている。東京では、マルカートさんのコンサートにも足を運んで
頂いている。
有楽町の駅で再会・・・、40年と言う時間は流石に長いと思う・・・・。
お互いに,多分,音楽は,好きだった。彼は尼崎吹奏楽団でトランペットを
吹いていた。私はアコーディオンを練習したり,歌ったりしていた。
「音楽」という共通項がなければ再会出来なかったと思う。
彼は,私のブログを見ててくれて,今回会わなかったら、もう一生・・・
という思いで連絡をくれた。銀座YAMAHA上階の彼のオフィスで
何から話して良いのやら、検討もつかないまま、
2時間くらいがあっという間に過ぎた。
私は(彼はその部門ではなかったけど)
YAMAHAが国内総代理店のエクセルシア/ピジーニといった
アコーディオンと販売やメンテを含むそれら周辺の話をした。
もちろん、楽器業界に長くいる人だから事情は察して頂けたと思う。
最終結論から言えば,二人の原点は、
室戸岬までの自転車旅行だということが判明した。
当時,私がサイクルスポーツに投稿した旅行記の掲載誌を,
今でも、彼は大切にしていると教えてくれた。
彼から見れば、私は、室戸岬から延々と「ドロップアウト」(古い言葉だ)
したまま、今日まで,「その日暮らし」を続けている。
それでも、なんとか生き長らえ
「音楽」という共通項で再会出来た。
昼食を共にしながら,しみじみとした嬉しさに包まれた。
昔の仲間は、「生きていてくれさえしたら」いいよね・・・と
話すしか術がなかった。
当時、阪急武庫之荘駅のプラットホームで「俺、今、ちょっと,表に・・・」
と言う言葉を残したまま、別れたI君の消息も分かった。
みんな,「57歳」で生きている。
Y君と,再会を約束して、銀座YAMAHAの前で別れた。