が降り始めた。
今日は、全道的に雨。
サッカーの試合を見ようと、1:00過ぎに目を覚ました。
雨の音が聞こえる。
昨日、北海信金ニセコ支店で、奴ちゃんに偶然あった。
「よっ・・・!」
いつも彼はそう言う。
私は「元気か!!・・・」
といつも聞く。
ひ~~~~~さしぶりだったので、「昼飯食おう!!」ということになった。
車2台で近くの食堂に行って、カレーライスを注文した。
メニューを見たけど、それぐらいしか食べれるものが無かった。
二人とも、ず~~~~っと飲食に関わる仕事をしているので(私は卒業した、彼は現役)
メニューをみれば、だいたい想像がついた。
いつもは昼抜きの彼に、私がつき合わせた形となった。
食堂では、最近の様々な情勢?について意見交換が行われた、
あまり大声を出さずに、ひそひその部分もあった。
儲かりもしないロト6や賭け事の話にも花が咲いた。
彼は、若い頃、泊村の「ブルーホライズン」という宿泊施設にいた。
海に沈む夕日を見ながら、ギター片手に女の子を口説くのが得意な人だった。
私達も、夕日を見る為に、泊村の海岸には何度も通った。
ロマンティックな話だ。
今は行かない。
ヘルカルウスの海岸にももう入れないし、
その場所には、第一・第二・第三・とサティアンがそびえ立つ。
奴ちゃんも、私も、食べる為に何でもした、そう、普通だった。
同じ土建屋さんで、スコップ持ってたし、同じでんぷん工場で、20Kgの袋詰めを、一日に何百とこなしてた。
早朝から、ニセコじゅうの電気のメーター機を見た歩いたりした。
彼は、スキーを付けて、山の向こう側までメーター機を見て歩いた、まじめな人だ。
私は、春までぶん投げといて、よく叱られた。
冬に、電気カーペットや凍結防止のヒーターを使う別荘とかが多かった。
人里離れたそのような場所は、先ず、メーター機までたどり着くのが大変だったし、
スコップもって、掘らなければメーター機は出てこなかった。
適当に数字を入れといて、春から調整しよう・・・なんて考えてたら、
調整出来ないくらいメーター機がぐるぐる回っていた・・・ことがよくあった。
そう、食べる為に何でもした、普通だった。
当時は、なんか変な人がいっぱいおった・・・で二人の共通認識が一致した。
一日に、職務質問を3回受けた人とか、日本を徒歩で、3周している人とか、金を払って同じ宿泊施設に147連泊している人とか、
数え上げたらきりがなかった。
それでも、皆、なんとか??やっていた・・・・(何を?)
そう!!・・・・「何もしない」・・ことを、延々とやっていた。
それらが、許されたというか、許容されたというか、懐が深いというか・・・そんな時代もあったネ・・・・で二人の意見は集約された。
彼は、ビートルズのイエスタディーが弾きたいと「アコーディオン」を学んだこともあったけど・・それは挫折した。
一生懸命、練習すると、無意識に汗をかいたり、涎が出ることに・・・そんな自分に我慢出来なかった。
彼はそう言う意味で、とてもお洒落だったと思う。
二人は、この後、くたばるまで、どうしようかね~~っと心の奥底をちらっと見せ合うことも忘れなかった。
そう「趣味だよな!!」歳いって、「趣味」が無いのも寂しいよな~~
そんなことを言い合って、私は大正琴の叔母さま達が待つ、体育館へ・・・・彼の希望の「星」をあとにした。
今日は、全道的に雨。
サッカーの試合を見ようと、1:00過ぎに目を覚ました。
雨の音が聞こえる。
昨日、北海信金ニセコ支店で、奴ちゃんに偶然あった。
「よっ・・・!」
いつも彼はそう言う。
私は「元気か!!・・・」
といつも聞く。
ひ~~~~~さしぶりだったので、「昼飯食おう!!」ということになった。
車2台で近くの食堂に行って、カレーライスを注文した。
メニューを見たけど、それぐらいしか食べれるものが無かった。
二人とも、ず~~~~っと飲食に関わる仕事をしているので(私は卒業した、彼は現役)
メニューをみれば、だいたい想像がついた。
いつもは昼抜きの彼に、私がつき合わせた形となった。
食堂では、最近の様々な情勢?について意見交換が行われた、
あまり大声を出さずに、ひそひその部分もあった。
儲かりもしないロト6や賭け事の話にも花が咲いた。
彼は、若い頃、泊村の「ブルーホライズン」という宿泊施設にいた。
海に沈む夕日を見ながら、ギター片手に女の子を口説くのが得意な人だった。
私達も、夕日を見る為に、泊村の海岸には何度も通った。
ロマンティックな話だ。
今は行かない。
ヘルカルウスの海岸にももう入れないし、
その場所には、第一・第二・第三・とサティアンがそびえ立つ。
奴ちゃんも、私も、食べる為に何でもした、そう、普通だった。
同じ土建屋さんで、スコップ持ってたし、同じでんぷん工場で、20Kgの袋詰めを、一日に何百とこなしてた。
早朝から、ニセコじゅうの電気のメーター機を見た歩いたりした。
彼は、スキーを付けて、山の向こう側までメーター機を見て歩いた、まじめな人だ。
私は、春までぶん投げといて、よく叱られた。
冬に、電気カーペットや凍結防止のヒーターを使う別荘とかが多かった。
人里離れたそのような場所は、先ず、メーター機までたどり着くのが大変だったし、
スコップもって、掘らなければメーター機は出てこなかった。
適当に数字を入れといて、春から調整しよう・・・なんて考えてたら、
調整出来ないくらいメーター機がぐるぐる回っていた・・・ことがよくあった。
そう、食べる為に何でもした、普通だった。
当時は、なんか変な人がいっぱいおった・・・で二人の共通認識が一致した。
一日に、職務質問を3回受けた人とか、日本を徒歩で、3周している人とか、金を払って同じ宿泊施設に147連泊している人とか、
数え上げたらきりがなかった。
それでも、皆、なんとか??やっていた・・・・(何を?)
そう!!・・・・「何もしない」・・ことを、延々とやっていた。
それらが、許されたというか、許容されたというか、懐が深いというか・・・そんな時代もあったネ・・・・で二人の意見は集約された。
彼は、ビートルズのイエスタディーが弾きたいと「アコーディオン」を学んだこともあったけど・・それは挫折した。
一生懸命、練習すると、無意識に汗をかいたり、涎が出ることに・・・そんな自分に我慢出来なかった。
彼はそう言う意味で、とてもお洒落だったと思う。
二人は、この後、くたばるまで、どうしようかね~~っと心の奥底をちらっと見せ合うことも忘れなかった。
そう「趣味だよな!!」歳いって、「趣味」が無いのも寂しいよな~~
そんなことを言い合って、私は大正琴の叔母さま達が待つ、体育館へ・・・・彼の希望の「星」をあとにした。