朝夕は北国特有の冷んやりした季節、
大阪の最低気温より、根室・釧路の最高気温の方が、はるかに低い。
天気予報を見ると、20度を超えない日がある。
細川たかしさんの「北酒場」とビリーバンバンを坂本冬美さんがカバーした「また君に恋してる」を書いた。
「北酒場」はBassでルンバを叩く、応用編として夏期研修会用に書いた。
「また君に恋してる」は老人ホーム慰問用に書いた、NHKのラジオ深夜便から出て来た楽曲だったと記憶している。
その同じ頃、山崎ハコさんが、素敵な自作曲を歌ってた・・・・こちらは出てこなかった。
NHKラジオの深夜、3:00時~4:00時ころのニュースのネタ(取り上げられる内容)とお昼のニュースのネタが
『微妙に』違うと感じている。お昼だったら、こんな内容あまり取り上げないだろう・・・・というネタでも深夜であれば
アナウンサーの口から報じられることがある、布団の中で「へ~~~~っ」・・・と感心して聞いている。
私の考え過ぎかもしれないけれど・・・・・・
あまり、長い時間、眠れない。
学生時代の友人Oから、手紙が届いた、引っ越しの挨拶葉書を見たからだと思う。
日本でも有数の素晴らしいステンドグラスを制作している。
彼の実家は島根県の松江だった、
学生時代、フォークグループの合宿で早春に使わせていただいた記憶がある。
松江という街は、とても詩情豊かで趣のある街だった。
自炊しながら6人?で何日か過ごした。
Oの両親は仕事の関係で、広島にいた、松江の実家は空き家になっていた、大きな屋敷だった。
朝からガンガンギターを叩いて、練習していた、当初ウッドBassを使っていた私達も、その頃はエレキBassに変わっていた。
京都駅から、そのエレキBassのアンプを担いで、特急「出雲」だったのか「大山」だったのか忘れたけど乗り込んだのを覚えている。
鏡のような宍道湖と落ち着きのある古い町並み、倉につけ込んであった沢庵の樽(古漬け)から毎朝せっせと
大根を掘り出していただいていた。ちょっと酸味のかかった沢庵は絶妙に美味かった。
大学4年生の最後に「Nothing」は、京都会館小ホールで「さよならコンサート」をして解散した。
西岡たかしさんのカバー「まぼろしの翼と共に」1曲の他は全て、オリジナルだった。
そのとき、ラストコンサートの練習で、話声は「かすかす」になったけど、歌声は「普通」に歌えた・・・を経験した。
プロのミュージシャンだった私の母親が聞きに来ていてくれた(そんな暇あるはず無いのに・・・・)
私達の心の「弾力性」や「柔軟性」や「豊かさ」って「それ」が柔らかい内に、その時は「意味」さえ分からなくても
どんどん吸収し、カッチンコッチンの石ころの「それ」になってしもうた後半戦(7回裏)でも「バックボーン」として幼少期に取り込まれた
「世界観」が支えてくれている・・・・・・そんな気がする。
金があったとか、なかったとは別に、そんな風に思えることが、非常に恵まれていたのだと全てに感謝したい。
それは、静かな町並みだったり、手掴みした鮒のぬるっとした感触だったり、トンボを追いかけた夕焼けの空だったりするのだろう。
「無為の時間」・・・・子供のころ・・・・どれほど「無為の時間」を過ごせたのだろうか・・・・
友人のOは、幼少期から色彩感覚がずば抜けていたと聞く、
山並みの葉っぱの色、一枚一枚を違う色で表現出来る人だった。
今度、大阪に帰ったら連絡しようと思う。
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