朝から快晴に恵まれ、豊平川の花火大会を祝福するかのような、夏空が広がった。
おばあちゃんは、ディサービスにでかけ、TOMOKOさんは、「ルゥ」とニセコに出かけた。
私は、朝からスーパーに出かけて、カレーの材料を仕込み、骨付きの豚肉カレーを作った。
後は、タコを冷凍し、透き通るほどにスライスしたサラダを沢山の野菜と盛り合わせた。
タコと野菜の「てんこ盛りサラダ」&夏野菜と骨付きポークの、和風カレーが完成した。
鰹でお出汁(だし)をとって、和風にした。
京都のお世話になった、中華屋さんでは、職人さん達が、夏になるとカツオ出汁(だし)をとって、
賄い(従食)用に冷麺を作っていたのを思い出す。お店で出す冷麺より、数倍美味しかった。
職人さん達は、お店のメニューには無い、裏のメニューをよくご馳走してくれた。
中華には無い、ソース焼きそばや、じゃ~じゃ~麺も良く作ってくれた。
変なオーダー出して、おたまで頭を叩(はた)かれることもあったけど、皆優しい人たちだった。
昨日は、東京のTOMBO楽器のTさんとマルカートさんで、最近の状況を話し合った。
グランドホテルの「OO43°」というレストラン・・昼時には叔母さま達が20人ほど列んでいた。
流石に列ぶわけにも行かず、静かな喫茶に場所を変えて話し合った。
国内のアコーディオンを取り巻く?状況は変わりつつある・・・・動きもある・・・・というのが、
大方の意見だった、と思う。楽器業界もインターネットの普及は、両面?あるけど、かなりの影響を受けている。
大袈裟に言えば、若い人がアコーデイオンに興味を持ったとしたら、世界のアコーディオン演奏を居ながらにして?研究することが出来る。
こんなスタイル、あんな演奏、そんな楽器、あんな楽器、自由に分析することが出来る。
・・・・で・・・・・この国では・・・どこに行けば・・・いいの???
非常に「閉鎖的」と言われ続けて来た、日本のアコーディオンの世界に対して、私は「もう・時間の問題です?・・・・」
という言い方で、解放?されて行くしか無い・・という意見を述べた。
ただ、今の状況では、若い興味しんしんの世代の、受け皿が、あまりにも「お粗末」な状況でもある。
アコーディオンを演奏するにあたって、避けて通れない基本形はあるとしても、
アコーディオンを担いで、若者が何を表現したいのか・・・?・・・それは自由だから。
それらを、むしろ支援する形で、わたしたちが学び、考え、若い人々に、アコーディオンの未来(ちとオーバー・・)を
切り開いていただかなければ、ならない。
私達がアコーディオンを学んだ頃は、そこ(先生の所)へ行かなければ、アコーディオンの情報(楽譜・録音・楽器自体)は何も無かった。
アコーディオンのメーカーも、TOMBOとYAMAHAとエクセルシアくらいしか(私は)知らなかった。
アメリカナイズされた、楽譜、アコーディオンの演奏、発声で、私達は学んだ(決して悪いとは言ってない、素敵な音楽だった、今聞いても・・・・)
時が進み、状況は変わった。
ネットのオークションで使えそうなアコーディオンを落札し、ちょっとペンキを塗ったくって、
ボタンはよく分からないけど、手探りでエーデルワイスくらいを、弾くことは出来る、
鍵盤だけなら、「ぱりぱり」演奏している人を、ネット上では沢山見かける。
アコーディオンって、なんだか面白そうだから・・・・・・それでOK・・・・・
1台の「ゴラ」を売ることより、100台の入門機種を人々に説明して、理解してもらって、試してもらうことの方が
アコーディオンにとっては、意味深いのでは・・・と思うこと『も』ある。「も」と書いたのは、徒労に終わることも考えられるから。
それでも、アコーディオンに興味を抱いた、若者や子供達に「な~~んだ・・・つまんね~~~」と思われないように、
様々な角度から、普段から、アコーディオンの可能性を見極めておかなければならない。
「かしこま」らなくても良いし、レベルを下げる必要も全然ない、少なくとも、アコーディオンが「こうあらねばならない・・・」という
杓子定規な考えには、落ち込まないよう気をつけている。
テレビで聞いた「パリは燃えているか』が格好よかったので。「弾きたい」とリクエストされれば、それに答える。
いつもハマっているゲーム音楽「隅田川夏恋歌」が「弾いてみたい」とリクエストされれば、答える。
(つまらない打ち込み音楽..という人もあるだろう)
パリ空?・・・??、クンパルシータ?・・・??・・・・・「っっっっ知りません・・・」
それよりも・先生!・・「福山雅治」が弾きたいのです!!!・・
よっしゃ!!「まかしとき!!」(なんかよう分からんけど?)アレンジ書いてくるから・・・・。
そう、何も変わっていません、当時の「若者」も小泉幸雄とその楽団や「緑の地平線 アコーデオン獨奏」に痺「し」びれました。
モスクワの・・・スーパマーケットへ通ういつもの地下通路、くたびれたアコーディオンを奏でるおじいさんの「バッハ」に
うたれて、その場から動けなくなったピアニストがいたとしても何も不思議ではありません。
音楽は、突然訪れます。多くの人ではなく、たったひとりの人がもし、「ああ・良いね」と涙を流していただければ
それで充分だと思います。月日が流れ、ピアニストがアコーディオンプレーヤーになったとしても、なにも不思議ではありません。
弾いてみたいと、思った時、必要で充分な、情報や手がかりが近くになければならない。
どこの楽器屋の店員さんでも、アコーディオンの説明が出来るだろうか?
疲れたり、腰が重くなったり、肩が痛くて上がらなかったり、ワン公しか相手にしてくれないとしても、
「黙って」弾き続けて行きます。
TOMBOのTさんは(日暮里)に、愛用機種ビクトリアの調整に来た、後藤ミホコさんの試奏に立ち会ったことを
昨日のことのように話されていた。それが私と同意見だったので、多いに盛り上がった。
・・・・そう・・・・そこまで「弾くのです!!」(後藤さんは)
多くの人が後藤さんの「パワ~~」にうたれています(うちのめされて・・・・・)
いろんなスタイルがあって楽しい。
明日は、ニセコ町体育館に向かって走る。