ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

大阪の暑さの「残像」は身体に少し残っていたけど・・・・

2011-07-10 07:19:56 | Weblog


夜半から、強い雨が降り出した。
朝方は小止みになっていたので、「ルゥ」と表に飛び出した。
この「空気感」がたまらなかった
ヒンヤリしていて・・・・・

大阪の暑さの「残像」は身体に少し残っていたけど、
昨夜は、ゆっくり眠れた・・・・5日ぶりだ。

後にも、先にも進めない「人」が、本気になって、この国のことを思い、
人々のことを(永田町界隈の奴らのことなんかどうでも良い)思い、
メディアからなんとパッシングされようが、仲間から?非難されようが、
命をかけて、「やる」というのなら、歴史に残るだろう!!

そう・・・・人々は、永田町の力関係・論理・決め方から・今度こそ、脱却出来るのではないか・・・と期待した。
そして、今の段階で、原子力発電に不安を抱いている人はかなり多いと思われる。
「虎の尾」を踏もうが、何を言われようが、それら「今までのやり方に固守する輩」と別の「枠組み」を作ると言うのなら、
それは一つの、「かくめい」になるかも知れない、はたしてそれが、この国で可能だろうか・・・
私達は、あまりにも、ぬるま湯に浸かり過ぎ、なら「されて」しまった。

インターネットを含む多くのメディヤが、権力・金力を持った人々に、都合良く利用され、
これが「私達の現状で・・・こう・・あらねば・・・」と『まことしやか』に、いとも簡単に「世論を操作されてしまう」時代にあって
「あまりにも巧みすぎる情報の操作」に私達は気づかず、日々流されている。

所謂「搾取」は品を変え、形を変え、手触り、匂いまでも変えて、延々と繰り返されて来た。
人々は、ここに来て、『気づき』はじめている。
民を愚弄し続ける「権力」は・・いつかは滅ぶ・・と信じたい。

1972年、沖縄が返還されたその年に、はじめて、本島を自転車で回った。
太平洋戦争の悲惨な爪痕、そして、何処を走っても、米軍基地の金網に行く手を阻まれる沖縄の現実を
この目で見た当時と、何か、変わったのか?・・・と自問している。

話は冒頭に戻るけど、本当に、この国を思い、人々のことを思い、命をかけて「やる」というのなら
どんな「船」にでも乗ろうと思う。

毎日曜日のレッスンに、月2回、金曜日レッスンが追加された、
生徒さんが集まれば、それは嬉しい。
今日は真駒内のレッスンに出かける。