ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

原野にぽつんぽつんと突っ立ていることを思うと・・・

2011-06-29 06:51:52 | Weblog
爽やかな

東京から次女が飛んで来たので「ルゥ」のテンションは一気に上昇した。
部屋の中を走り回って、「わャ」になった。
それでも、気がついたら父の部屋で鼾をかいて寝てた。

札幌の住宅密集?地域、近くのスーパーへは、お客様用の循環バス(とドック号)がぐるぐる
時計と反対周りで走っている。それに乗れば、スーパーの玄関前まで届けてくれる。
買い物して、ちょっと用事を済ませて乗り込めば、家の近所のバス停まで届けてくれる便利な乗り物だ。

倶知安の駅前スーパーも日曜日とか混んでたけど、やはり札幌のスーパーはそんなものじゃなかった。
日曜日とか、店内は寿司詰め状態で人が歩けないほど込み合っている。10以上あるレジも長蛇の列、
そんな大型店舗が石山通沿い(家の近く)に4つある。ちょっと足を伸ばせば、まだまだある。
プールやスポーツジムも大盛況だ。
そして、平日の昼時(ひるどき)サービスランチでしのぎをけずるレストランも様々、
叔母さまたちが「ぺちゃくちゃ」大変な賑わいだ。

背景に抱える「人口」が比べ物にならないことを証明している。

新聞折り込みの「量」も新聞本紙より厚い。
ニセコの新聞には、「パチンコ屋の広告しか入らない」・・とTOMOKOさんはよく怒ってたけど、
セレモニーホール(葬儀屋)から不動産屋、近くのスーパー、各種お教室、イヴェント情報・・・これでもか・・と入る。

町内会の回覧板もよく回る、主に文化講座のような案内が多い。
知り合いの写真家が近くの公民館で個展を開いている・・・・・
7月に数学者の秋山先生が、本拠地?東海大学で公演をされる・・・・・
健康サプリメントは山のように案内されている。

原野にぽつんぽつんと突っ立ていることを思うと、
経済的な効率は確かに良い。

原野にぽつんぽつんと立つ人々は、「その意味」「その良さ」をしっかりアピールして行かなければならない。
経済的な効率は求められないのだから・・・・・
いつも、一つ一つの内容、それらのクオリティが吟味されている。

今日は、ニセコと洞爺湖に出かける。
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小笠原諸島・・・・

2011-06-28 06:49:48 | Weblog
うす・・・

5:00時前に、「飯!!!・・・」と起こされ、表に飛び出した。
カラスが「がぁ~がぁ~」うるさい朝だった、
飛べるようになった、雀のぴよぴよ達がこんもりとした庭木の茂みの中で、出番を待っている。
それもまた「ぴよぴよ」うるさかった。

「ルゥ」は昨日のプロレスごっこで疲れた様子、
私にはちょうど良い元気具合?だった。

今日は次女が東京から飛んでくる日、
またまた「ルゥ」が大喜びとなる。

世界遺産に決まった、小笠原諸島・・・・
21歳の頃(38年前?)一夏・父島にいた。
当時、観光地としての情報もあまり無く、どこかの大学の旅行倶楽部が編集したガイドブックを
参考に、竹芝へ行けば、小笠原丸に乗船出来るくらいを頭に叩き(たたき)込んで、出かけた。

8月前半だったのか?船の中で2回寝た。もちろん寿司詰め(すしづめ)状態。
当時の小笠原丸は、関西汽船・瀬戸内海航路のお下がりみたいな船だった。
父島の民宿に転がり込んで、自炊(宿の仲間と)して遊んだ。

歩くしか手(て)は無かったので、毎日、シュノーケルと足ひれをぶら下げて、島中(しまじゅう)歩いた。
私が小笠原・父島に持った印象は、第二次世界大戦の日本国軍の要塞(ようさい)だった。
海はすぐに深くて、あまりに美しいけど、浜辺の沖には、沈没しそこなった船(サメのすみか)や、山のてっぺんには砲台、
どこに行っても、「中に入るな!!・・東京都」という看板だけが目立った。
そう・・・・・草むらをかき分ければ、洞窟だらけだった。

ヨーロッパから来た、若者・・そう当時は皆、若者・・・・が、毎日、良い葉っぱが自生している・・・と
山の中を歩き回っていたのが忘れられない。
沖縄と違って、ハブはいない。

雨が少なく、島中、給水制限がなされていて、決まった時間しか水は出なかった。
京都の下宿に帰った朝、蛇口から頼みもしないのに、勢い良く水が吹き出る?のを見て、感動で泣きそうになった。
宿の親父さんは漁師なので「お前たちは上から見ても潮の流れなんか分からないのだから、リーフの外には出るな!!」と
口が酸っぱくなるほど、注意された。潮の流れは速い・・・と。

船が着いた、翌日からは、いろんなものが冷凍されてスーパーに列んだ、あんぱんもメロンパンも食パンも・・・
日本国内のニュースとかは、公園の映画で?見てたのかな・・・週一回まとめて。
とにかく、小笠原丸が入らなければ、何事も始まらなかった。
もちろん、次の船が来るまで1週間、竹芝には帰れない。

夜はカタツムリを踏んで歩いた。
ムロアジの群れを追いかけて、鰆が港に入って来た。
波立つムロアジの群れ・上空のカモメの騒ぎ・・
緑色した海亀の煮物もよく食べた。
オクラのじがつお・・も大好きだった。
山から長~~い青竹を切り出して、磯に出た、
サメが来る前に、小魚を鰹漁船のごとく釣り上げた。

金が尽きて、民宿の客から、宿の下働きに降格した若者が何人もいた、それは普通だった。
帰りの船賃だけは腹巻きにしっかり残してあった。
毎晩、酒だか、焼酎だか、ウイスキーだか、分けの分からないものを、浴びるほど飲んで騒いだ。

・・・・飲んでさわ~~~~~い~~~で~~~~丘に登れば~~~~~~~・・・・・・・

その通りだった。

京都の下宿に帰って、流しの奥にしまい込んだ、ぬか床の腐った匂いを嗅いで・・・「夢」から覚めた。
ぬか床に、きゅーりやなすびやセロリを突っ込んどけば、それだけでご飯が美味しかった。

私にとって、小笠原は第二次世界大戦の痕跡があまりにも生々しかった。
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私は、良いんです・・・ただの踏み台ですから・・・・

2011-06-27 21:50:18 | Weblog
風・風・・寒い

朝から、風が強くて本当に寒い一日になった。

TOMOKOさんは昼の飛行機で、大阪へ飛んだ。
残った私と「一匹」はもなみ公園の草原に降り立って遊んだ。
ワン公がかくれるほど、草は伸び放題だったけど、久しぶりにリードを
放して(はなして)遊んだ。わたしは鼻炎のくしゃみと鼻水が最高潮?(さいこうちょう)に達した。

水曜日のニセコの仕事、日曜日のレッスンの後、私も大阪に飛ぶ。
大阪は「暑い」と電話があった。

夕方、いつもの河原で、「ルゥちゃん元気そうだね~~」と声をかけてくださる、クリームのでっかいラブ君にあった。
人が来ない河川敷まで降りて、2匹は取っ組み合いで遊んだ。「ルゥ」
は舌をだらりとのばしてへろへろになった。

夜は、壊れた?レッスン用アコーディオンのBass部・蓋を開けて、中身を取り出し、
お世話になっている楽器屋さんから教えていただいた通りに、じ~~っと眺めていた。
1時間以上眺めていたけどよくわからなかった。
Bbのボタンが上がってこない・・・・・
Bbは、C7でもGmでもEbでもエアーバルブの蓋が開く・・・・・確かに開く。
Bbだけ、開かない。2時間ぐらいにらめっこして、中通の棒っこがエアーバルブの板を押さないことに気がついた。
下から4番目の棒っこを持ち上げるはずのピンが外れていた。
アッセンブリーになっているとはいえ、アコーディオンのBass部のメカは非常に複雑で気が遠くなるような代物です。

昔から、自分で開けて、どうしようもなくなって、そのまま楽器屋さんに持ち込まれたお話や
分解されたまま、2度と組み立てられなかったお話を良く聞きます。
音色はシンプルで透き通りますが・・・機械はトホウも無く複雑な楽器と言えるでしょう。

吹き抜ける「風」が数枚の「リード」を震わせているだけの楽器ですが。
そこに、これまた、トホウもない魅力が隠されているのです。

一度(ひとたび)その魅力に取り憑かれてしまいますと・・・・あきません・・・
気をつけてください・・・・・何度も言います・・・重い・高い・難しい・・・・・三拍子そろっていますから、
くれぐれも気をつけてください。

私は、良いんです・・・ただの踏み台ですから・・・・


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東京や大阪の「39.6度」とかの方々には想像出来ないかもしれないけど・・・・

2011-06-25 22:21:37 | Weblog


晴れた・・けど・・・気温が低い。
東京や大阪の「39.6度」とかの方々には想像出来ないかもしれないけど、
朝晩は、ストーヴを炊きたい気持ちを我慢している・・・・「6月だから!!」
釧路・根室では、確実にストーブを焚いているだろう、朝方の気温が5度~6度だから。
北海道の上空に、寒気が入り込んでいる。
その分、日中は爽やかだ。

爽やかだ・・とくれば・・・阪神が巨人相手に3連勝した。
こんな時だけ、マユミ監督の首が繋がる。
「公」も最近調子がいい。
ダルビッシュ、普通に調子良かったら、あれは、ちょっと打てない感じがする。

一日中「JALOUSIE」Jacob Gadeの練習をしていた。
昔からとても人気のある、コンチネンタルタンゴだ。
頭に独特の言い回しがついている、ヴァイオリンで朗々と弾かれることが多い。
目にも止まらぬ早業で、弾く奏者もあれば、中くらいの速度で情感を込めて弾く奏者もある。
オーケストラ、ピアノとヴァイオリン、エレクトーン、クァルテットくらいの編成、
いろいろ聞いてみる。何十回、何百回、弾いてると少しづつ、曲が近づいてくる。
最近は、弾きすぎないように気をつけている?。
これでもか!!・・・とは弾かないよう押さえる。
それでも、曲の中で、特にタンゴは?1・2カ所、炸裂する(出来る)場所はある。
むしろピアノ(P)で音を抑えて滑らかで美しいメロディーに気を使う。
1音1音、音・響きのクオリティは細部にまで、左右ともこだわる。
そして全体のバランス、左右のバランス。
1音1音にきちっと、相応しい風が当たらないと、丸みの帯びた良い音にならない。
それは、フォルテでもピアノでも同じ。
弾けるようになったら、そこから苦闘が始まる。
『弾けるようになった』・・・で終わる人も多い。

家の周りの草刈りをした。
草刈りと行ってもニセコのようにガソリンエンジンのブッシュカッターで
何日もかかって、やる訳ではない、ただ、手でむしり取って行くだけで済む。
山三つ葉を見つけたり、大きなアザミの株を見つけたりする。

生徒さんが結婚されたので、何かプレゼント・・・・とコーチャンフォーへ出かけた。
ガリアノとフッソングのタンゴのC.D.を見つけた、(私も持ってるC,D,だけど)
フッソングのC.D.が随分安くなっていた??。
ついでにアルゼンチンタンゴ130曲、6枚組とキャロルキングを自分用に買った。
この前来た時は既に売り切れだった、小出裕章先生の本が、平積みのコーナーに
かろうじて、1冊だけ残っていたので、買った。

夜になって、マトリックス(キアヌ・リーブス)を見た。
何年も前、息子と小樽のワーナーマイカルで見た映画だった。
その後、ニセコのユースホステルにスコットランドの3人組がスノボで2週間訪れ、
その中の長身の美女が(キアヌ・リーブス)の相手役にそっくりだったので、びっくりした。
脈略なくいろんなことが思い出された一日だった。
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匂いの地図

2011-06-24 07:29:19 | Weblog




夜半、激しい雨が降った。
きりりと涼しい風が気持ちよい、夜明けとなった。
小やみ状態の雨を縫うように、濡れて光る舗装道路に出た。
6月の雨の匂いがした。

裏の空き地と神社の境内・・・で「ルゥ」は2度も糞をした。
雨に洗われた草むらは、新しい匂いがするのか、こと細かくチェックに余念がなかった。
ワン公の「匂い地図」が描ければ楽しいだろう??・・・といつも思う。
無数のワン公が、電柱・家の前・消火栓・街灯・草むら・防護策の手すり・石ころ・・・・・
「しるし」を付けて行く、塗り替えられ、かき消され、次から次へと混ざりあってゆく、
それらを解き明かそうと、また、無数のワン公たちが「謎解き」に挑み続けている。

「今日は、彼奴とあいつがここに来た・・・・・昨日は彼奴しか来てなかったのに・・・・・
 彼奴がしばらく・・・訪れていない???・・・よぼよぼだったから・・・ひょっとして・・くたばったのか?」
「それにしても・・彼奴は元気だ・・・・鼻が曲がりそうになる??」
『匂い地図』の中では「彼奴と・あいつと・AITUと・アイツの区別が出来ているのだろう・・・・」

知り合いの鹿撃ちおじさんが、山に入って「熊」が近いと「ラブ」は「ぶるって教えるので」とても助かる・・・という話を聞かせてくれた。
風向きにもよるけど、私の気づかない気配を何十メートル先から感じていることはよくある。

火曜日に、ニセコの街を縁の下で支えていた人が亡くなったと連絡をいただいた。
私達も非常にお世話になった。
「Mさんがいたから・・・・・」という街の成果は・・・彼は表には出ないけど・・・・多くの町民が知ることだった。
「私が・・・・私が・・・」という「方向付けが」多い、昨今の街の様々な取り組みの中にあって、
私達は「周囲にしっかり目をくばり、適材適所、人の配置をして行ける、Mさんに」学ぶことがあまりに多かった。
彼を乗せた白のリムジンが役場の前で、しばらく停車した。
私達は、皆、手を合わせて、ご冥福を祈った。

会を「まとめる」立場にある人「会長・理事長」は自分が出来ることは「当然」かも知れないけど、
いかに会員・ひとりひとりをもり立てて、目をくばり、それぞれの会員が(自分『が』ではない)活躍出来る「場」を「用意し」
少々出来が「悪くても」・・・・「良かったよ!!次も頑張ろうね!!」と声をかけ、
その会が、広がって行けるように、気配りして行かなければならない。
また、多くの人から指示されて行くようにしなければならない。
「私が・・・私が・・・・」では、本末転倒であるし、
先行きが知れている。

何年も前、有島記念館に始めて「呼び出されたとき」・・・・・・
「稚拙でいいんですよ!!・・・」と何度も慰めてくださった「方」のお言葉が忘れられない。
「稚拙」で本当に申し訳なかったと思うけど、私達も必死だった。
勉強させていただいたこと、反省しなければならないこと、有島では多くのことを学んだ。
「言うは易し・行うは・・・・」

ピアノとコーラスの隙間に、アコーディオンを忍び込ませてみたけど・・
コーラスが「重くて・・・」アコーディオンが浮き上がってしまった。
「あぁ~よっこらしょ・・」的なサンタルチア・帰れソレントへ・オ・ソレミオになるので
もう少し、譜面から目を離しても歌えるように・・・・とハッパをかけておいた。

いろんなことがあって、水曜日・午後、小学校で行われた「ニセコの空に」完成セレモニーを
すっかり忘れていた、「先生!!・・・皆・待っている!!」と連絡をいただいた時は、中山峠だった。
ごめんなさい。



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~福永武彦、魂の旅~

2011-06-21 16:03:18 | Weblog




晴れて、朝から気温が上がった。
ボロの借家だから?窓が壊れていたり、窓が開かなかったり、網戸が全部破れていたりする、
契約した不動産屋さんに、随分前から苦情・抗議をしていたところ、今日管理部の人が来た。
これは、酷いですから?オーナーと相談して早急に手だてを講じます・・・・・と、写真を撮って帰った。
前回も、その様に言って帰ったけど、「なしのつぶて」だった。

昼から、TOMOKOさんに誘われて、北海道立文学館へ行った。
中島公園にある。昨日は休館日だった。
特別展:「日は過ぎ去って僕のみは~福永武彦、魂の旅~」が開催されていた。
学生時代、福永先生の本は殆ど買って読んだかも知れない。
当時、ハードカバーの単行本が主流で、どちらかと言えば、物静かな精緻な表現が多かったと記憶している。
昭和40年前後に出版された、懐かしい随筆集や小説が列んでいた。
大阪を出るときに、すべての本を古本屋に持ち込んで処分した、
何回も何回も足を運んで、二束三文で叩かれ売った。
それでも、当時は目方ではなかった、それぞれのハードカバーに値段がついた。
「兄さん、ええ本持ってるねえ~~、家で全部買うからドンドン運んで・・・・」と古本屋の親父に催促された。
阪急梅田、ガード下のカッパ横町に、古本屋が列んでいた。

一人の作家から、交流のある作家、影響を受けた作家、親・息子・・・と、どんどん興味が湧き、読み進んで行く。
音楽も似ている。

このブログにも何度も書いた、福永先生が長野に行く車窓から眺めた、雑木林の「辛夷」が忘れられなかった。
「辛夷」をそれまで一度も見たことがなかった。
北海道に来て、はじめて、これが「辛夷」なんだ・・・・・と非常に感慨深いものがあった。

TOMOKOさんに教えられるまで、池澤夏樹さんが福永先生の息子さんだということも知らなかった。
ここ何年も、書籍から遠い遠い生活になってしまっている。
昔の「所謂」一高・東京帝国大学を卒業した「ような」知識人と「称される」人々が、
今のこの国の惨状を見て、どのように思われるのか?聞いてみたい気もする。
利益誘導・とにかく金・が最優先の社会にあって、みんな押し黙って風見鶏のごとく
社会の流れを読み解こうと目だけ「白黒」させている。率先して「丁だ半だ」なんて言う奴もなかなか出てこない。

放射能の垂れ流しと、株主総会を、同じ次元で考えることを「良し」とする社会が、
本当に真っ当な社会と言えるのだろうか?
子供に、大人と同じだけ、放射能を浴びても「我慢しろ」という社会は絶対おかしい。

イタリヤ民謡・サンタルチア・帰れソレントへ・オ・ソレミオ・メドレーのピアノとコーラスの隙間に
「邪魔にならないように」アコーディオンパートを書いて滑り込ませた。
合わせてみないと何とも言えないけど、コーラスの音程が、も少ししっかりすれば・・・・と願う。

明日は、ニセコに向かって走ってみる。

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日々・これ・練習しか無い・・・・・・・

2011-06-18 05:46:20 | Weblog


日中、気温は上がる。
朝晩は過ごしやすい初夏の陽気となった。
雨が降ったりすると、それでも、寒い。

昨日は、一日中、オタマジャクシを打ち込んでいた。
「乾杯の歌」「みだれ髪」いずれも生徒さんからリクエストをいただいた曲。
なかなか、優しく書けないで苦労する。

昼前に、手術を済ませ、1泊病院でお世話になった、「ルゥ」を迎えに行った。
待合室で、私達の声が聞こえると「早く出せ!!」と中から彼女のわんわんが始まった。
元気だったという報告と、この後の注意を先生から聞いて
「ルゥ」は無事に家に帰った。
昨日は、流石に、一日中・・・寝てた。
縫合された後を気にする風でもなく、それでも、丸一日エサを与えられてなかったので
グロッキー君だった。

「一週間シャワーをしない・避妊手術の後は太り安くなるので食事の管理をしっかり・
 7日分の抗生剤を飲ませてください、気にして縫合の痕をなめるようだったら
 エリザベスカラーを付けましょう、傷口を注意してみていてください」

今日は、午後から、定山渓のホテルで、北海道アコーディオン協会・総会がある。
昨年度の報告・反省と次年度(この後)の行事予定、その他が話し合われる。
任意の団体で、会員の意識を高め?、運営して行くことの難しさを
長い年月痛感して来た。なんでもかんでも一人で抱え込まないようにし、
出来ても出来なくても、役割は会員でシェアーし合う体質にしてゆかなければ
長く続けて行けない。皆が集まった時は楽しく、少しくらいは、
技術の向上、アコーディオン音楽への理解を深めていただけるよう
イヴェントを考えて行くようにしていた。
今年は、秋のコンサートで、山岡秀明先生をお迎えする。
以前、札幌でも、ニセコでもお迎えしている。
とても緻密な演奏されるアコーディオン奏者として名高い。
最近はNHKのお仕事を、テレビでよく拝見している。
一方では、クラシックの現代曲等でも、オーケストラに参加されている。

日々・これ・練習しか無い・・・・・・・
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それにしても?・・寒い!!

2011-06-16 07:43:00 | Weblog


それにしても、寒い。
寒くても、頭の中に「6月の中旬」というカレンダー制御が働くので、
ストーブのスイッチを押せない。
これが、5月であれば躊躇無く、ストーブを焚いているだろう。
朝晩は・・・・寒い。

一年の半分以上、ストーブのお世話になる。

「ルゥ」は今日、避妊手術の予定日なので、昨夜の9:00時以降、食物を与えられていない。
朝、いつものように「腹減った!!」から抗議が始まったけど、もらえなかった。
7:00以降は水分も断たれたので、「なんでや・・・??」みたいな様子で、ふて寝している。
「まあ・・いろいろあるワ」と慰めているが、いじけている。

基本的な?目的をしっかり持った、ボランティア組織なのか、
単なる、町民の自己満足の為の「遊び場」なのか、
ボランティアと称される言葉の中にもかなりの幅はある。
もちろん、カルチャーセンターや地域で取り組まれる自主的な文化・スポーツ講座、
また、時簡に余裕のある方々の「遊び場」も必要だと思う。

ただ、なんでもかんでも、「ボランティア」という名を付けておけば良いということにはならない。
「読書ボランティア」という言葉があったとする。
ただ、与えられた時間に学校に赴き、子供たちの前で、「読み聞かせ」をして帰ってくる。
今日は、「子供たちが大勢聞きに来てくれた」「今日は子供たちが少なかった」
『「読み聞かせ」しても子供たちは集まらない』

子供たちの「読書環境」を真剣に考えるボランティアであるのなら、
先ず、その学校の子供たちの読書に対する意識に関心を持たなければならないし、
学校の図書室の運営、利用・活動状況も考慮に入れなければならない
図書室の状況が良くないのなら、先ず、図書室の利用(子供たちの利用しやすい)状況の改善を目標に
図書の整理、入れ替え、図書室のレイアウト、雰囲気等を改善して行かなければならない、

子供たちが、あまり本を読まない学校ならば、時間をかけて、子供たちが読みやすい本、面白い本、入りやすい本、の紹介を
して行かなければならない。それらを学校と話し合い、協力していただき、辛抱強く時間をかけて繰り返して行かなければ
ならない。消耗することも多いし、なかなか良い結果をすぐに得られるものでもない、
少なくとも、自分たちの『自己満足の為』だけに
ボランティアと『称して』あちこちに出かけて、パフォーマンスしてれば良いという考えは『慎みたい』

街の図書室、図書館、地域交流センター、いろいろあるけど、それらの施設が本来持つべき役割を忘れ、
ただ、時間に余裕のある人々の『遊び場』になってはならない。
それらの施設が地域の人々に果たさなければならない役割があるとするのなら、
基本的な施設の役割に、今一度立ち返って、少し時間をかけて、目標を持って、運営・活動に当たらなければならない。
『役場や教育委員会の責任は重い』基本理念を忘れてはならないし、常に、しっかり示して行かなければならない。
そんな中から、10年後、20年後の子供たちが育って行くと考えたい。

本当に、地域の為に・・・とイヴェント(講演会・バザー・コンサート・映画鑑賞・etc・etc)を考えるのなら、
身銭を切ってでも、自らが役場と真正面から交渉して・・でもやる覚悟で行いたい。
多くの先駆的な地域では、そのようにして本物の地域プログラムが作られ育てられて来たのだろう?。
決して一朝一夕にして結果が得られた訳ではなかった・・と思う。

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「熊」「鹿」「熊」「鹿」「熊」「鹿」・・・・・・・

2011-06-14 07:25:49 | Weblog


雨の合間を縫うように、散歩に出た。
昨日、裏山で熊が出たので、そちらには近づけない。
沢を隔てた、すぐ目の前の裏山に、熊が出没(住んでる?)している。
道路には「熊」と「鹿」の看板が同じくらい赤い文字で列んでいる。

「熊」「鹿」「熊」「鹿」「熊」「鹿」・・・・・・・

「鹿」は既に、ワンボックスカーを踏みつけるくらいのサイズを見たので、
今度は「熊」・・・・・だ・・けど・・・見たくないし、会いたくない。

11日、京都大学の小出先生は、
福島原発の事故は「一定の(めど)など立たないので」
管総理は、ず~~~と、やめられないでしょう・・・という意見を述べられていた。

この国の表面下で、不気味な「力」が動き始めている・・・としか言いようの無い、昨今の政治の言動だ。

クレマチス(鉄仙)が隣近所の庭の花壇、生け垣に咲き始めた。
それぞれ工夫を凝らして、ま~~るい球状にこんもり咲かせているお宅、
生け垣に、びっしり蔓を巻かせて、鉄仙の生け垣にしているお宅、
大きい花、小さな花、色もそれぞれ個性豊かな美しい、人気のある花だ。

どちらを向いて、政治をするのか、どちらを向いて人々を導くのか、
今ほど、問われている時は無いだろう。

今度、コーラスで歌われる、イタリア歌曲メドレーのアコーディオンパートを書き始めたけど
いまいち、発想が乏しい。そうこうしている内に、岩見沢のコーラスグループの方から、
この秋の定期演奏会でシャンソンの演奏を、という依頼が飛び込んだ。

今、NHKで活躍されている、山岡先生からも連絡をいただき、
秋のHAAサロンコンサート、タイムスケジュールの打ち合わせをした、
先生のご都合に会わせて、航空機、宿の手配をしてゆく。

ネットで注文したA5ヨコのファイルが、今日、大量に届く、
歌謡曲の現場で使える楽譜ファイルを300曲分くらいとりあえず作る。

オートマチックのレコードプレーヤーは、電源ON・OFのスイッチが無いので、
誤ってスタートボタンに触れると、ゴムパットの上に針を落として、演奏を?始めた。
気がついたときはカートリッジの周りにゴムの削り取られたカスが溜まっていた。
虫眼鏡で針先を確認したけど・・・・・・無かった。

土曜日、映画が始まるまで時間があったので、貍小路のレコード屋さん(中古)でユーミンの「ミスリム」を買った。
一番程度の良い状態のLP(結構高い)洗浄してもらって、ジャケットは2Fから奇麗なものを下ろしてもらった。
ジャケットだけの在庫も持ってるフシがあった。私の「ミスリム」は、針飛びが激しくて、流石にもう舞わせなくなっていた。
TOMOKOさんは、表に積み上げられた「100えん」コーナーから柳ジョージ・レイニーウッドを見つけて買った。
合計2100円だった。映画はペアーのどちらかが、50歳を超えてるとペアー2000円で鑑賞出来る、
両方50歳を超えてもそれ以上は安くならない。トホホ.・・・・・。


          1989年・2月5日


     私達は未来に・・・・・何を残せるのだろうか
     私達は子供に・・・・・何を伝えるのだろうか

     ひとりひとりの瞼に  焼き付いた景色
     ひとりひとりの心に  刻み込れた願い

     「  」なんていらない
      この緑の大地が欲しい

     「  」なんていらない
      あの青い海が欲しい

     私達に真実を・・・・・誰も教えてはくれない
     私達はこの大地を・・・信じて生きるしか無い

     遠い夜空からから聞こえる人々の叫び
     溢れ出してくる豊かさにNO!・・と言える勇気が欲しい
     
     「  」なんていらない
     この緑の大地が欲しい
     
     「  」なんていらない
      あの青い海が欲しい


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ハイ!・・・それが一番の問題です

2011-06-12 08:10:34 | Weblog
うす

札幌は、何処に行っても、YOSAKOIソーランの衣装を見に纏った人で一杯だった。
昨日は、ほとんど一日中、練習していて、午後から、お世話になっている
アコーディオンの先輩宅に札幌移転のご挨拶に出かけた。

隣の部屋からGoraが運び込まれ、一分の狂いも無い鍵盤部の平面を眺め、
透き通る音色を試させていただいた。希有のアコーディオンと言えるだろう。
もちろん、それぞれの楽器に、特徴があっていい訳だし、それぞれの愛されるべき音色があることも
否定出来ないが、Goraはそれでしか表現出来ない音色が飛び抜けてしまっている、
決して、出しゃばりはしないが、非常に遠音のきく、バランスのとれたアコーディオンだった。
繊細な表現も、和音の塊も、至る所で「おおっ」と、思わず声が出てしまう。

夕方から、TOMOKOさんと資生館小学校の斜め向かいにある、シアターキノに出かけた。
二人で映画館に出かけるのは、「ビッグウェンズデイ・もう頬杖はつかない」以来かも知れない。
逢坂さんが紹介されていた、「100,000万年後の安全」フィンランド映画を見た。
暗闇の中で、多くの人が意見を述べていた。
500mの岩盤の下に大きな空洞を掘り、そこに、核廃棄物を埋めるプロジェクトが進行している。
結果として、これで絶対大丈夫という「確証」は得られなかった。
あまりにも長過ぎる、時間、誰も責任を持てない、

映画の途中から、100,000万年後のことを、延々と心配することより、
今の私達の意識を少し変えることの方が、これは早いのでは・・という思いに駆られた。
暗闇で議論は尽くされたけど、500mの岩盤地下に、核廃棄物を埋めるというプロジェクト自体が
「ナンセンス」では・・・・と言ってるのかな?・・・そんな風に読めた。
今、多くの人の、原発や核廃棄物に対する意識が変わったとしても、
既に、生み出されてしまった何十万トンもの高レベル核廃棄物は、現実として残る。
誰にも、どうすることも出来ない。

私達は、待ったなしで、選択を迫られている・・・・・・
にもかかわらず・・・・
この国の国政を司る人々は、あまりにも・・・・・・情けない。

今日は、レッスンデー。

移転した案内の葉書が全国津々浦々届いたので、毎日「引っ越したんだって・・・?!!」という電話を
多くの方からいただく、「札幌でも宿泊業してるの・・・?」
ありがとうございます。
「宿泊業は止めました」
「じゃぁ・・なんで食ってんの?」
「ハイ!・・・それが一番の問題です」
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大名堂のホットドック・・や・・・・!!

2011-06-08 07:00:31 | Weblog
爽やかな

札幌に引っ越して、電気製品も、いろいろ買い替えた。
大きなものは、すべてニセコに・置いてきぼりに・したので、コンパクトで値段が安く、性能の良いものを選んだ。
と書けば、聞こえは良いが、殆ど、その売り場で、一番安いものを選んだといっても過言ではない。
電子レンジも、札幌にはガスオーブンがないので、オーブンレンジにした。
電子レンジ機能、オーブン機能をいっしょにしたようなものだ。
非常に「かしこい」奴だった。

大阪のおばあちゃんの家では、冷蔵庫は「しゃべる」電子レンジは「しゃべる」洗濯機も「しゃべる」ので
朋子さんは、「じゃっかましい!!・・・・」と怒るらしい。

そんなオーブンレンジで、毎日のように簡単レシピ「パン」を焼いてくださる。
夜中に、ぶつぶつ・がたがたうるさい「パン焼き機」もあるけど、一斤半のパンでも
量が多すぎるので、最近は、簡単レシピ「パン」が我が家の主流になった。

前置きが長くなった。

昨日は、長いウィンナーをあしらった、ホットドッグ風・調理パンを焼いた。
今朝の朝食にいただいたけど、そこから、二人の会話は「大名堂のホットドック」に発展していった。
関西の私達の年代の人にしか、分からないと思われるけど・・・・・
私はラサスケートリンクに行った時、始めて、昴サンバーで、「狭そうに」おっちゃんが焼いている「それ」を200円で買って食べた。
「世の中に、こんなに美味しいものがあったんか????・・・・」とその時・心の底から思った。
高校生くらいだったのだろう。

細切りキャベツをカレー粉で炒めて、マスタード・ウィンナー・ケチャップでいただく、ホットドック。
カレー味のキャベツを馬鹿にする人もあるかも知れないけど、
私達、関西人は美味ければそれで、十分だった。
見た目・体裁・作法・はその次で良かった。
阪神デパートのイカ焼き、もそうだった、そんなに値の張るものでもなんでもなかったけど、
文句なしに美味かった。普通の?街角の食堂に入って、「きつねうどん」を注文して、「はずれ」の時は殆どない。
普通に「美味しい」・・・・それが大阪の心情なのかも知れない。

昨日は、近くの動物病院に行って、「ルゥ」の避妊手術の日程調整をして来た。
親父と違って、「ルゥ」はダイエットを見事に?成功させ、スリムな身体で診察台に担ぎ上げられた。
先生から、目標をみごとにクリアーしたことを褒められて?・・・良かった。
ドッグフーズの量を、チビッと減らしただけだったけど、25Kg代まで減量した。
そう・・・ラブちゃんは、丼3杯でも・5杯でも、与えれば、与えただけ「食べれる」ワン公だった。
それは、親父も同じだけど、とにかく食べることにだけは、非常に真摯な姿勢で臨むことが多い。

6月末~7月初旬・大阪へおばあちゃんを迎えに行く、日程調整をして、すべての航空券を予約した。
7月から、おばあちゃんを札幌にお迎えして、私達の生活がリ・スタートする。
「ルゥ」のお行儀を?良くしなくっちゃ・・・とか
おばあちゃんの部屋のベッドやテレビや、仏壇や、床マットや・・・・・etc 準備しなければならない。
近くのケアホームの見学(下見)にも出かけたけど・・・・館内すべて「アロハ」だったことに、驚いた。
聞くと、アロハシャツの職員が「今は、アロハ週間?・・だと教えてくれた」
よくわからなかったけど「そうですか!!」と答えておいた。

そう・・私達の周りには、人知を超えるものや、意味不明のものも・確かに沢山存在するが
私達自身が、正に「そう」でもあるし、よほどコミュニケーションを良くして行かないと、どこかで「すれ違い」「軋轢」が生ずるのも避けがたい。

それにしても、まともに総理大臣を務められなかった「人」が、後任の総理を「サポート」するのならともかく、
「さっさと止めろ!!」は無いだろう。人知を遥かに超えてしまっているし、全くの意味不明だと、誰も思わないのだろうか?
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「Second Heaven」という曲のリクエストをいただいた。

2011-06-07 07:15:55 | Weblog


晴れ、6月にふさわしい?・・・・晴れ。
もう・一年の半分が過ぎようとしている、
今年は、年初めから、札幌へ引っ越そう!!・・・・という計画が持ち上がったので、
もう、最後だろうけど、そのことに、ほとんど係っきりになった。
雪も、沢山降ったけど、毎回・毎回・・・・もう最後のニセコの冬だから・・・と
愛おしむかのごとく、ブルトーザーのエンジンをブルブル回した(ほんまかいな??)

昨日の、朝の散歩で「ルゥ」がアスファルトの歩道をヨチヨチ・ピ~ピ~している
飾り物のような雀の「雛」を発見した。「食べる!!」と言ったけど、「ダメだ!!」・・と
見るだけにした。上では親鳥が騒いでいる。

ニセコの草むらでも、この時期よく、小鳥の雛がピヨピヨしていた、
「ルゥ」は「アムアムッ」とするけど、雛が口の中で「ブルブルっ」とするので、一度吐き出す。
その時始めて、小鳥の雛だったんだ・・・・と分かる。
NHKの深夜放送の歌では、宇崎竜童さんが「涙なんだ」という楽曲を歌われているけど・・・・・。
そうか「雛だったんだ」・・・・・

日曜日の、遅いテレビで、指揮者・佐渡裕さんがベルリンフィル・定期演奏会で指揮する様子が伝えられていた、
全身これ・エネルギーの塊みたいな演奏ぶりに、こちらも熱くなった。
「っ凄い・音・してたわ!!」リハーサルの感想を述べられるときも、
純粋に音楽だけに向き合っている、姿勢がひしひしと伝わって来た。
普通、著名な指揮者が「っ凄い・音・してたわ!!」とは言わないと思う。

その後の、情熱大陸という番組では、小説家・伊集院静さんが、最後の無頼派・作家として
紹介されていた。

いずれの番組も、私達がもう・すっかり・どっかに・忘れ去ってしもうた「何か」を
もういっぺん「思い出せよ!!」と言われてる気がした。

エルム教室に通う、大学生の生徒さんから「Second Heaven」というリクエストをいただいた。
若い生徒さんには、特に「何か・弾いてみたい曲があったら・・・・言えよ!!」と声をかけている。
練習曲は、どうしても時代の古い曲が多い『良いとか、悪いとかの問題ではなく」
私達の年代が、聞き覚えている曲でも、若い人にはわからない曲が多い、
そこで、少しは聞き覚えのある曲も、必要になってくる。

「Second Heaven」はゲーム音楽だった、デジタル打ち込みで作られたような・・・・。
私には、ほとんど経験のない音楽だったけど、アコーディオンに移し変えて、書いた。
彼には、まだ、ちょっと難しいかも知れないけど、馴染みの、自分の近くにある好きな音楽だったら
きっとチャレンジ出来る。

今週、ニセコ町民センターのピアノ移動が出来なくて、町民センターも既に使えない(改修のため)
公民館にはピアノがない・・・という理由で、コーラスの練習が中止になった。
ピアノ移動・運送業者の手配がつかない?・・・・(ほんまかいな??)
ぷ~はうすの校舎内には、使えるピアノが2台もあったけど・・・・。

何時頃からか・・・??・・・・もう役場とか、行政とか頼りにしないで、
自分たちでやって行こうよ・・・という思いに駆り立てられるようになった。
やる気があるんなら?・・・・いっしょにやりましょうか?・・・・くらいの気持ちで、
関心・無いンだったら、ほっといてくれ!!。
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優しい風が吹いていた・・・・・

2011-06-05 07:07:34 | Weblog


優しい風が吹いていた。
昨日までとは、うって変わって、「みどりのそよか~~~ぜ・い~~い・ひだ~ね~~~」のような
風になった、苦みばしったフレンチローストの珈琲に、ちょっとミルクが加えられた朝となった。
歩道には、遅咲き桜の薄いピンクの花びらが撒かれ、隣近所の庭先には、霞草・チューリップ・ユキヤナギ・・・・・春の花が
満開となっている。

昨日「ザ・ニューズペーパー」の公演は、道心ホール満席状態で昼夜2回行われた。
エダノさんの記者会見から始まり、カン総理を始めとする、政府の閣僚、野党の党首らが殆ど顔を見せた。
ヲザワさん、タナカマキコさんも、久しぶりに舞台に姿を見せた。
メディアのカメラの前とは異なり、皆さん非常に歯切れの良い、明快な意見を述べておられた。
「ザ・ニューズペーパー」というだけあった、国内のお茶の間の話題から、高貴な方々のご様子、また、ワールドワイドな国際問題も
中継を交えて、見事に表現されていった。流れる舞台転換、13:00分に始まり、NHKの「のど自慢」のごとく、15:00にぴったりに終わった。
NHK「のど自慢」は5分前から、ゲストの歌が2曲始まり、40秒を切りそうなところで、その日の表彰式が始まる、
10秒を切りそうなところから、最後のテーマが奏され、「来週は島根県の出雲市でお会いしましょう・・・・」13:00分にぴたりと終わる。
私は、時間通りに終われるのか、そちらが心配で、いつもハラハラ聞いている。
ゲストのカラオケの前奏・間奏がいくらのんびりしていても、全然大丈夫、ピタリと終わる。

あの?テンポで一日2回公演は、非常にハードだと思った。年輩のメンバーもいる。
歌あり・ダンスありそれぞれが、一生懸命演じられ、笑いの渦が消えないうちに、次の笑いの渦が会場を飲み込んで行く。
秋の札幌公演までには、政治情勢・社会情勢はすっかり別物になっていることも十分考えられる。
ほとんどのネタが、一昨日までの、ここ1~1.5ヶ月のメディア報道だった。
庶民の目線に立った感覚で、大げさな皮肉もしっかり込められ、時には微妙な内容であるにもかかわらず、
「笑い飛ばして行く」スピード感とエンターテイメント感に、脱帽した。

今日は、1日、レッスンの日。

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おお!!い~~ま~も・むか~~しも・・・・

2011-06-03 22:00:23 | Weblog
風が冷たい

街路樹の桜も終わり、
木々の緑が鮮やかに、輝きだした。
早朝、川の向こうから、啄木鳥のせわしないドラミングが鳴り響く。

いつもの、クリームのラブちゃん、黒のゴールデンちゃんに挨拶して
朝の散歩から、帰る。

日々、寒暖の差が激しく、なかなか衣類の調整が難しい季節。
今日は、歌謡曲の楽譜(曲集1001)を求めて、美しが丘(北広島の手前)まで走ったりした。
コーチャンフォーの検索機には、データーが無かったけど、売り場には、目指す「1001上巻」があった。
下巻と合わせると「2002?」ついでに、懐かしのフォーク全集なんかも買ってしまった。

1日・10曲・一ヶ月・300曲を目標にして、必死で覚える。
わからない曲は、youtubeのお世話になる、昭和初期のS.P.レコードから、何でもある。

明日は、「ザ・ニューズペーパー」の公演を見に行く。
自治ネタを扱う集団は、この変化の激しい世相を、どう切り取って行くのか、非常に楽しみ、
公演の最中に、政変のおこりかねない今、仕込まれたネタが、素直に発表されれば(出来るようであることを願いたい)良しとしたい。
彼らの公演は、半年前のネタが、すっかり使えないことも多いと聞く。
公演の最中に、楽屋でネタの入れ替え・・・なんて事態も起こりかねない。

「スタイル.ミュゼット」のちゃんとした?楽譜を書いた。

政治「屋」さん達の、茶番劇にはもう、皆、うんざりしている、
それらを、声高に放送するメディアにも、もう誰も関心を示さなくなった。

「ほんとのこ~~~とを・いって!!ください・これが・ぼくらの・みち~~~な~の~か~~~~~~」

スイスの一番古い原子力発電所の前に、2万人くらいの人々が集まり、「もう止めよう、止めてください」と言った。
一般市民の素直な表現だ・・・と報じられていた。

勝ち続けていた、鷹を虎が退治したと、スポーツニュースが伝える。
虎はその前の戦で、「ダル」という凄い球を見せつけられていたので、今夜の鷹の球は、全部普通に見えたらしい。
テレビでは、楽天と巨人の試合を報じていた。

「おお!!い~~ま~も・むか~~しも・か~わ~らないはずな~のに・なぜ?こんなにとお~~~い
 ほんとのこ~~~とを・いって!!ください・これが・ぼくらの・みち~~~な~の~か~~~~~~」






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2夜連続の「完封」やった!!

2011-06-02 06:58:28 | Weblog


晴れたけど、気温は低い。

昨夜も、あかんかった。予想通り、ダルビッシュに「完封されてしもうた」
「公」も打線は、それほど調子良くなさそう。
でも、今の阪神、相手ピッチャーがダルビッシュやったら、「1点」あれば十分・・・・・。

阪神を応援に行った、新得のMさんは、「生」で2夜連続の、完封ショーを見られた。
ト・ホ・ホ・・・・の気分になった。

負けが込んでる時こそ、応援するのが真のファンだと・・・助言をいただいたりした。

昨日、ニセコでは、
「ニセコ千本桜運動イメージソング・ニセコの空に」完成記念セレモニーが行われた。
道新の記者さん、盤面、ジャケットに作品を提供された、版画家:府川 誠さん、詞・曲を提供した「私」
千本桜運動事務局:中島日出男さん、ニセコ・コールブーケの皆さん、ピアニスト鹿内弘子さん 等が出席し
協力いただいた、人々にそれぞれ完成したC.D.が手渡された。
この後、ニセコ町の多くの場所で、「さくら~・さくら~・さくらが咲いた~・・・・」が 流される。

ニセコ町では、6月から、町民センターの大改修工事が行われる、
町民センターを拠点に、多くの文化団体が活動を続けているが、それらの人々も
別の場所での活動を余儀なくされる。古い公民館であったり、体育館の空き部屋、地域のコミュニティーセンター、
各学校の音楽室など、日程調整、割り振りされて行く、大ホールも1年間、使えなくなるので、
多くの文化イヴェントも制約が多い。年輩者の多い団体がほとんどなので、1年・1日と言えども、
寂しく感じる人々も多いと思う。施設が新しく、立派で使いやすくなるのは、ありがたいけど・・・・・。

札幌ドームはデビューを果たしたので、今度はKITARAへ行こうと、計画している。
コンサートホールKITARAは、昼夜、公演が目白押しだ、地下鉄に乗れば10分ほどで着く。
生の音楽に触れることが可能になって来た。

デジカメのS.D.カードをimacにセットする方法を覚えたので、少し、タイムリーな画像を含めた情報を
アップ出来るようになった。

今日は、「ニセコの空に」ジャケットと盤面。
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