ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

もう・誰も・・・・・・!

2011-08-24 06:16:01 | Weblog
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長袖のシャツを一枚、羽織って丁度良い朝となった。
気温は15℃前後なのだろう、
中央図書館で借りた「日本怪魚伝」という本を読んでいる。
四万十川であったり、琵琶湖であったり、富山湾、奥只見湖、大鳥池・・・・・・・
昔、読んでいた作家・開高健さんの足跡と重なる部分は少なからずある。
北海道のイトウも登場する。

子供の頃、近所の大きなため池では、時々1mはあろうかと思われる鯉があがった。
大水が出れば、氾濫した田んぼにやはり1mもの鯉がため池から群れをなして出張してきた。
大の「おとな」が子供のように驚喜して鯉を追った。
「こども」ながらに不思議な光景だった。
子供の仕掛けにも時々、馬鹿でかい?と思われる魚が食いついた。
でもそんな子供の仕掛け・力ではとても太刀打ちできる相手ではなかった、
大きな岩?かなにかにひっかかった・・???・・・とその岩が動き始める・・・
深みへ深みへ・・と竿ごと引き抜かれて仕舞うこともあった。
夕暮れ時になると岸から遠い湖面で、魚達が跳ねた。
夏休みは、朝から晩まで、家の前の川に入って魚を追っていた。
そんな記憶しかない。
尼崎市の郊外でも、充分、自然は豊かだった。

川に入るか、野球をするかそれくらいだった。
鮒や鮠(ハヤ)のことと、投手の投げる球のことだけ考えていれば良かった。
朝寝坊で、ラジオ体操はしょっちゅう遅刻して叱られた。
糠味噌漬けとみそ汁で朝ご飯、昼はいつも冷や麦だった、兄弟で赤や青、緑の麺を奪い合った。
夜はカレーライスが唯一のごちそうだった。
大きな蚊帳をひとつ吊るして、雑魚寝した。
窓は開け放たれているので、川面を無数の蛍が飛び交った。
家の中にも蛍は沢山訪れた。
無数の蛍をかごに詰め込んで本を読もうとしたけど、真っ暗だった。

正に、ファンタジーの世界「そのもの」だった、
テレビも扇風機も冷蔵庫も、洗濯機も何も無かった、
川の水で、トマトやスイカを冷やしていただき、裸電球一つあれば良かった。
台風が来て、ロウソクが用意されたりすると、期待で胸がワクワクした、早く停電しろ!!と心の中で呟いていた。

・・・・・・・・・・・・50年・・・・・・・・・・・・・・

50年・・・しか・・・・50年・・・・・・・も
「しか」or「も」 どっちなんだろう?と考える。
母一人、六人の子供、米櫃は空っぽ・・・・・
夕方になると、母は西の空を眺めてため息をつくことが多かった・・・・けど、
腹一杯カレーライスが食べたかった・・・・・けど、
あんなに豊かで、幸せな「時空」はもう何処を探しても無い。

私達は、これほどまでに「愚かな成長」を遂げてしまった。
たった50年でこれほど「愚か」なのだから、この先は考える必要すら無い。
もう・誰も生き残れない。

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