綿の厚手長袖シャツの上に、ウィンドブレーカーが必要になった。
早朝、河原に出ると風が吹き抜けるので、体感温度が10℃前後になる。
湿度がちょうど良い具合に抜けて、初秋の香りが窓の外から流れ込んで来る。
過ぎてしまえば、「あっ」と言う間の夏。
おばあちゃんは、「寒い・寒い」の連発な毎日となって来た。
電力会社に行って、20Aの契約を30Aに上げてもらったり、
おばあちゃんの部屋に電気カーペット、電気毛布、電気OILヒーターの準備を始める。
私達もこの札幌の借家の冬ははじめて・・・・・
ニセコは大体。人気の無い体育館がマイナス5℃、トイレは凍結防止の為に10℃前後、
あの器(うつわ)をすべて暖めることは、最初から考えなかった。
非常に「風通しの良い」健康的な家屋(校舎)だった。
それでも、1ヶ月の電気使用料が35000~50000円、灯油・ガス・薪となると、もう
それは筆舌につくしがたい???・・・金額となった。
冬は、大阪に疎開して、夏だけニセコで・・・・という夫婦間会議は幾度と無く開催されたけど、
それらの計画は一度も実行されなかった。
どんな所でも、住めば都・・・・
・・・・・そう、住めば都・・・・・
ある日、突然「ここはもう住めないから出て行ってください!!」「もう二度と戻れません」
「ワン公も・牛さんも・鶏も・放置してとにかく出て行ってください!!」「出て行かなければ、命は保証されません」
あまりにも理不尽なことが現実に起きた。
その人々は、人生のもっとも大切な場所から、無理矢理引きはがされ、何も知らされないまま・・・・・・・・・・避難?生活を余儀なくされた。
防護服を着用しての一時帰宅を「認める・許す」・・・・なんで「お前に」許されなくては自分の家に戻れないのか?・・なんで「お前」に認められなければ自分の家に戻れないのか?
勝手に、人が浴びる放射能の年間許容線量をとんでもない数値に引き上げといて、一時帰宅を「認める」も「許す」も無いだろう。
それなら「認める」「許す」というのなら、この国が決めた、一般の人々の年間許容線量を「守れ!!」
守れないのなら、あなた達に「認める」とか「許す」とかいう「資格」は無い。
国家は守らなければならない・・・けど・・・国家の構成員はそこに暮らす「人々」だ。
そこに暮らす罪なき人々を守れないのなら、国家としての資格を放棄したに等しい。
「黙って」高濃度の放射能汚染水を海に大量に「たれ流し」続けるのは「海洋汚染 of 不法投棄」犯罪行為ではなかったのか・・・?
諸外国から訴えられても反論出来ない、国家間の信頼関係がきわめて危うい状況に陥る。
原因はともかく、「一企業の」壊滅的事故の責を「知らぬ間に」全ての国民が負わされることとなる。
私達は、若い世代、子ども達に「負の遺産」しか残せないのだろうか・・・・?
この国は、民(たみ)を守ることを放棄した、私達は自分でなんとかして行かなくてはならない。
秋のコンサートの案内が沢山寄せられる季節となった。
カレンダーを見つめながら、空いてる日時があれば出かけようと思う。