11日は陸前高田市竹駒町の下壷仮設の集会所でかご編みをやりました。ここは20戸ほどの仮設で最近やっと集会所が出来ました。
連れて行ってくれたのは先月も同行した陸前高田担当の島田さん、一緒にカナダのトロントから来たギャロウェイさん、この人は日本人でカナダ人と結婚してお子さんもいますが、里帰りのついでにボランティア活動を数ヶ月やっています。出発前にかご作りの練習をやったので、お手伝いしてもらいました。参加者は来月もやりたいというので、継続してやることになりました。
陸前高田だと言葉が同じなので、古い言い回しを使ってみんなの笑いをとったりします。私は明治5年生まれの祖母に育てられたので、今若い人には使われなくなった言葉も知っています。ウザネハイテ(苦労して)とか、あっとうであ(ああ尊い、拝むときの言葉)
集まったのは8人、スムーズに進行したので残りの時間はアコーディオンで歌を歌いました。帰りに島田さんにお願いして、私が生まれた場所に行きました。以前遠くから見たことはありますが、そばに行ってそこに立つのは初めてです。
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生まれた家は震災前にとうに無くなっていますが、そのあたり一帯は土台も片付けられ、昔を思うよすがもありません。
家からそばの階段を登るとすぐ昔の町役場の跡があります。そこまで津波が来て土台だけが残っていました。
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もう少し階段を上がると天照御祖(あまてらすみおや)神社があります。ここは無事でした。
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さらに上がると広い原っぱに出ます。そこに日清日露の戦没者を祀った忠魂碑があります。
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この辺り一帯が小さい頃の遊び場で、途中の石段のそばの杉の木に開いたうろには狸の目が光っているといって脅かされていました。そのうろは今見ると小さくてリスならいるかもしれません。
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地図で見るとここは本丸と言う地名です。ネットで調べると室町時代の城跡のようで、子供時代はそんなことは全く知りませんでした。
ついでに近くの高田小学校にも行ってきました。途中にあったヤマニ醤油は土台しかなくなっていましたが、小学校に通う途中にあった浄土寺は一部修理して残っています。
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小学校1年の終わりまでいた高田小学校は一階を津波に襲われましたが、生徒達は2階に逃げて全員無事でした。ボランティアの活動もあってその4月から授業を再開しています。津波をかぶった場所なので校庭に仮設住宅が建つことは無く、近くの一中の生徒達もクラブ活動をしに来ていました。
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跡形も無くなったヤマニ醤油も営業を再開しているようです。
忠魂碑のあたりは緑が鮮やかで、高田に来てやっと自然に出会えたような気がしました。