竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

足湯ボランティア

2011-06-11 16:48:14 | 被災地ボランティア
今月の遠野行きは日本財団の足湯ボランティアに応募しました。前回遠野から作業現場の陸前高田に向かうバスの席に、日本財団の足湯ボランティアの人が乗っていました。いつもは別のバスなのに手違いで乗ることになったようです。
 
聞いてみるとそのボランティアは正味三日間のツアーで、一日だけ足湯ボランティアをして、後の二日はまごころネットの人と同じ作業をしています。日本財団はまごころネットの支援団体の一つで、宿舎はまごころネットの体育館の近くのプレハブ。宿泊代として一泊500円払うほかは、遠野までの往復バス代は無料になります。
 
私は現地の被災者の話しを聞くことが出来る足湯ボランティアをまごころネットがやっているので、申し込もうとしましたが、定員いっぱいだったり休みの日だったりしたので、6月に来るときに申し込もうと思っていました。でも日本財団のボランティアがあることを知って、ネットで探してみました。毎週ボランテイアを35人ほど派遣しており、6月26日発で6月30日の朝戻ってくる遠野第8クルーがちょうどいいことが分かり、参加を申し込みました。参加は認められました。
 
 
私としては毎月一週間程度を考えていますので、今月はちょっと短いけれどこれで行ってみます。暑くなるしね。ネットで募集しているので若い人が多いようです。他に日本財団は大学生のボランティアを毎週100人ほど募集して派遣しています。
 
ボランティアは時の経過とともに内容が変っていくはずですが、陸前高田では瓦礫の撤去が中心です。まだまだ人手が沢山要ります。被災地ボランティアが私にとっては生きがいになって来ればいいなと思っています。
 
来週の火曜日から日曜まで、掛川市の中央図書館のギャラリーで第二回の森の教室展を開きます。いつも日曜日にやっている教室なので勤め人の生徒さんは当番に出られませんが、私は毎日出ます。会場で200円の材料代をもらって希望者に小さな籠を編んでもらいます。これは去年の小平での展示会でも好評で教室の参加者が増えました。いい部屋があれば街の中でやるのもいいなと思っています。
 
今朝のネット上の毎日新聞に村上春樹のスピーチが載っていました。バルセロナでの授賞式での印象的なスピーチです。
 

被災地陸前高田でのボランティア活動 その4 

2011-06-02 21:03:49 | 被災地ボランティア

 

最初の日は早朝遠野に着いてからすぐ作業を開始して走れなかったけど、翌日は小雨の中を走りました。行ったところは遠野物語に出てくるカッパ淵、昔子供達といっしょに行ったことがあり、きれいな静かな流れが印象的でした。

毎日曇り空で北上山地の最高峰、早池峰山はなかなか見えませんでしたが、最終日の朝見ることが出来ました。
 
遠野のあちこちを走って印象的だったのは、川岸に川原がほとんどないことです。遠野で一番大きな猿ヶ石川にも川原はなく、緑の野の中を流れています。イギリスの川もこんな川でした。
 
遠野市は「遠野物語」を中心として町おこしを考えています。二日目の作業が休みの日の昼、雨が上がったので遠野の博物館などがある地区にでかけました。建物に蔵の雰囲気が目立つ地区でそれはそれできれいな地区でした。
 
でも私にとっての遠野の魅力は、広々とした緑の田園風景とそれを囲むなだらかな山々、そしてその背後に隠されている東北の歴史を彩る荒々しい息吹きです。遠野、アイヌ語で言えばトオヌップ、湖のある原、そこは蝦夷の安倍の貞任や宗任が八幡太郎義家と闘った地であり、数々の伝説が残されています。
 
南に峠を一つ越えれば母方の祖母が生まれた住田町、さらに南へ下れば陸前高田、このあたりは私の故郷です。幼い頃に見た鹿踊りは遠野でも盛んに演じられていました。壊滅した三陸の地を復活させるための根拠地として、遠野はうってつけの場所です。私も何回も遠野を訪れることになるでしょう。
 
瓦礫の片付けはまだまだ時間がかかります。四月に作業したときには津波の跡に黄色の水仙が咲いていました。今目立つのはタンポポ、そして瓦礫の散らばった田圃には蛙やミミズ、イモリの姿が見られます。
 
空にはトンビも舞っています。トンビは昼食を摂っている私達の後ろから突然現れて、手に持ったおにぎりを奪い取っていきます。二日続けて現れて、おにぎりを3回も取られてしまいました。人間社会は今なお悲惨の極みですが自然界は少しずつ回復してきています。人々が心穏やかに暮らせる日が来ることを祈っています。  終わり。