竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

被災地陸前高田でのボランティア活動 その4 

2011-06-02 21:03:49 | 被災地ボランティア

 

最初の日は早朝遠野に着いてからすぐ作業を開始して走れなかったけど、翌日は小雨の中を走りました。行ったところは遠野物語に出てくるカッパ淵、昔子供達といっしょに行ったことがあり、きれいな静かな流れが印象的でした。

毎日曇り空で北上山地の最高峰、早池峰山はなかなか見えませんでしたが、最終日の朝見ることが出来ました。
 
遠野のあちこちを走って印象的だったのは、川岸に川原がほとんどないことです。遠野で一番大きな猿ヶ石川にも川原はなく、緑の野の中を流れています。イギリスの川もこんな川でした。
 
遠野市は「遠野物語」を中心として町おこしを考えています。二日目の作業が休みの日の昼、雨が上がったので遠野の博物館などがある地区にでかけました。建物に蔵の雰囲気が目立つ地区でそれはそれできれいな地区でした。
 
でも私にとっての遠野の魅力は、広々とした緑の田園風景とそれを囲むなだらかな山々、そしてその背後に隠されている東北の歴史を彩る荒々しい息吹きです。遠野、アイヌ語で言えばトオヌップ、湖のある原、そこは蝦夷の安倍の貞任や宗任が八幡太郎義家と闘った地であり、数々の伝説が残されています。
 
南に峠を一つ越えれば母方の祖母が生まれた住田町、さらに南へ下れば陸前高田、このあたりは私の故郷です。幼い頃に見た鹿踊りは遠野でも盛んに演じられていました。壊滅した三陸の地を復活させるための根拠地として、遠野はうってつけの場所です。私も何回も遠野を訪れることになるでしょう。
 
瓦礫の片付けはまだまだ時間がかかります。四月に作業したときには津波の跡に黄色の水仙が咲いていました。今目立つのはタンポポ、そして瓦礫の散らばった田圃には蛙やミミズ、イモリの姿が見られます。
 
空にはトンビも舞っています。トンビは昼食を摂っている私達の後ろから突然現れて、手に持ったおにぎりを奪い取っていきます。二日続けて現れて、おにぎりを3回も取られてしまいました。人間社会は今なお悲惨の極みですが自然界は少しずつ回復してきています。人々が心穏やかに暮らせる日が来ることを祈っています。  終わり。