竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

東京散歩2 谷中編

2014-10-19 18:33:34 | 東京散歩

10月17日(金曜日)従兄と一緒に東京散歩に出かけました。
待ち合わせしたのは西日暮里駅、この日はそこから歩いて谷中、根津神社、谷中の墓地へと歩いて日暮里駅がゴールです。

天気もよく、暑くも寒くもなく絶好の散歩日和でしt。
でもスタートから躓きました。
根津神社方面に歩くつもりが何か変なので、向かいから来た若い女性に道を尋ねたら、反対方向を教えられました。完全に方向ボケ、でもすぐ気づいて道を聞い たのがよかった。女性は懇切丁寧に教えてくれたのでその通りに行くと、坂を登って道灌山に出ます。高台の静かな森で、かってはここから北に筑波山西に富士 山を望む眺望の地だったようです。

この台地上の道は細くて車も通らず、下町らしい密集した家々と細い路地が続いています。

私も従兄も田舎出身なのでこういう道の法が落ち着きます。

同じように案内書を抱えた老人や老夫婦を見かけます。外国人の観光客も見かけます。案内書にこのあたりのことが載っているのでしょう。私たちも案内書を持って歩い ているから、個人旅行者のための観光スポットを歩いているわけです。


森の中に岡倉天心記念公園がありました。この地に一時住んでいたようです。
六角の建物の中に平櫛田中作の天心の坐像があります。

小平の平櫛田中記念館の中にも同じ天心の坐像があります。ちなみに小平は田中終焉の地です。

根津神社は立派な社で翌日の土曜、日曜には台東区の区民祭りが行われるとかで、いくつものテントが並んでいました。



根津神社から谷中の墓地に向かいます。
途中に昔の酒屋を移して下町資料館の一環の建物がありました。
そのすぐそばに古ぼけた長屋のような二階家があります。



道に立っていたおばあさんに聞いてみると旅館で、畳一畳に一人寝るような安宿だそうです。おばあさんの家はすぐ前、昔は座敷箒を作って何人も人を使って繁盛していたとか。

今88歳、息子と一緒に住んでいるそうです。従兄も私も話好きなのでしばらく四方山話をして別れました。



寛永寺は天海僧正によって立てられた天台宗の寺で、徳川歴代将軍の霊廟もあり、昔の寺域は上野公園の全体に及んだが、今は片隅に追いやられているようです。



裏から谷中霊園に入ったので、徳川慶喜の墓を探すのに苦労しました。

探している間に宇和島藩主伊達宗城の墓を見つけました。宇和島は若いころ一時住んだことがあるので、懐かしくなりました。



そこからは日暮里駅はすぐそばです。月に一回こうして東京のあちこちを散歩するのは楽しいものです。従兄はちょうどいい仲間です。