ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第41回)

2018-01-21 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ギリシャの奴隷制
 古代ギリシャと古代ローマは、そのきらびやかな文明で世界の人々を魅了してきたが、その裏には史上最も巧妙かつ組織的な奴隷制度を擁する奴隷制国家体制でもあった。その意味で、古代ギリシャ及び古代ローマの奴隷制は特筆するに値する。
 とはいえ、両者の奴隷制には相違点も少なくない。しかも、先行する古代ギリシャは集権的な統一国家ではなく、植民市ごとの都市国家ポリスの形態を最後まで維持したため、奴隷制のあり方もポリスごとの政策により異なっていた。しかし、奴隷制の実態に関する史料の大半はアテナイのそれに集中しており、その他ポリスの奴隷制の実態は不明な点が多い。
 元来、古代ギリシャには入植地の先住民を農奴のような隷属農民として使役する慣習があったと言われる。アテナイにもヘクテモロイと呼ばれる隷属農民がいたが、農業が不振で商業に活路を見出したアテナイでは時代が進むとヘクテモロイは廃れ、奴隷制に移行していった。
 他方、アテナイのライバルとなるスパルタは奴隷とは異なる隷属農民ヘイロータイが一つの社会階級として定着した一方で、奴隷制は根付かなかった。ちなみに、商工業を低俗とみなしたスパルタ支配層は参政権を持たない二級市民ぺリオイコイに商工業を押し付けたことも奴隷の需要を生じさせない要因であったと見られる。
 アテナイ奴隷制は古代ギリシャにおいて最も典型的かつ大々的なものであり、その最盛期には人口の三分の一を占めたとされるまでに膨張しており、奴隷なくしては存立し得ない状況であった。これほど奴隷制が膨張した要因として、参政市民層が家事を含む労働を軽視し、様々な労働を奴隷に依存していたことがある。
 中でもアテナイの商業的成功の秘訣となった銀山ラウリオンの採掘では過酷な奴隷労働が行なわれていた。一方、小さな都市国家の形態を採る古代ギリシャに大農場は形成されず、古代ローマのような奴隷農場も出現しなかった。
 奴隷売買は主として古代ギリシャ世界の共通聖地でもあったデロス島の奴隷市場を通じて行なわれ、奴隷の持つスキルに応じて価格がつけられた。その給源は戦争捕虜や債務者などもあったが、多くは小アジアなど東方から奴隷商人によって奴隷として輸入されてきた異民族であった。
 奴隷の待遇はその業種によって異なり、上述のように鉱山奴隷が最も劣悪であったのに対し、家内奴隷は比較的待遇がよく、子どもを教育する権利も与えられていた。奴隷は有償で解放されることもあったが、解放後も市民権は与えられず、外国人扱いされるなど、法的制限は付いてまわった。
 古代ギリシャでは古代ローマのような奴隷反乱事件は記録されていないが、ペロポネソス戦争末期にアテナイ奴隷2万人が逃亡したとされる。このような奴隷労働力の大量喪失は奴隷に依存したアテナイの衰退を決定づけたことであろう。


コメント    この記事についてブログを書く
« 民衆会議/世界共同体論(連... | トップ | 奴隷の世界歴史(連載第42回) »

コメントを投稿