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民衆会議/世界共同体論(連載第26回)

2018-01-16 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(2)民族自決から人類共決へ
 国家なき世界の構想に対して正当な不安が喚起されるとすれば、それは主権国家が否定されることで、民族自決権が損なわれるのではないか、ということであろう。たしかに、民族自決思想は帝国主義への抵抗理念としては有効であり、歴史的な意義を担ってきた。しかし本来、「民族」という概念は曖昧かつ無数に細分化されていくため、「一民族一国家」という算術的定式は成り立たない。
 従って、世界中のすべての国が内部に複数の民族を抱え、すべての国で民族間対立や少数民族差別、分離独立問題などが噴出し、少なからぬ国で内戦やテロリズムの要因ともなってきた。現今、緊急的な国際課題となっている対テロ戦争の要因にも、民族自決運動の暴走という一面が見られる。
 ここでも、発想の転換が必要である。すなわち民族自決から人類共決へ。人類は複数の人種と多数の民族に分岐しているが、生物学上の種としては一つである。そして現時点での知見による限り、人類は地球上にしか生息していない。とすれば、人類が共有する地球上での類的な共同決定は可能であり、必要でもある。そうした人類共決の場が、世界共同体である。
 ただし、世界共同体は文字どおりに世界を一つにまとめ上げてしまうものではない。その点では、「世界連邦」の構想とは異なる。世界連邦という構想は、つとに世界連邦運動という国際運動において提唱されている
 そこでは、主権国家の存在を前提に、「世界連邦政府」なる国際機構を観念したうえ、国家主権の一部を世界連邦に委譲するという構制を採る点で、世界を一つの「国」として観念しようとする思考法がなお残存している。
 これに対して、世界共同体は世界民衆のネットワーク機構である。ただ、ネットワークといってもいわゆる「地球村」構想のように、発達した交通・通信手段を通じて世界民衆が単にコミュニケートするだけの仮想空間を意味するのではなく、地球規模での政治的な意思決定も行う施政機構としての実体を備えたネットワークである。
 その具体的な組織については次章以下で扱うが、とりあえずの一般的なイメージとしては、現行国際連合の機構をより統合的かつ民主的に仕立て直したものを想定すればよいであろう。
 ただし、世共は現行主権国家よりも広い地理的範囲で自治的施政権を認められた領域圏で構成され、各領域圏は互いに排他的な領土を持たない。しかも各領域圏は民族単位ではなく、施政上の便宜を考慮した地理的一体性のみを基準に設定された領域統治体にすぎない。従って、一つの領域圏の一部の編入や組み換えなども、主権国家より柔軟に行なうことが可能となる。


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