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民衆会議/世界共同体論(連載第27回)

2018-01-29 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(3)恒久平和の機構化
 およそ200年前にカントが提唱したような常備軍の存在しない恒久平和は理念としてはなお尊重されているが、それが実現された試しはない。特に現在のように200近くにも及ぶ主権国家が地球上に林立・競合する状況では、かえって恒久平和の実現からは遠ざかっていると言わざるを得ない。
 20世紀の二つの世界大戦は、第一次大戦後の不完全な成果であった国際連盟を経て、現在の国際連合(国連)という地球規模の安全保障機構を生み出したが、この機構は元来、恒久平和ではなく、当面の大戦抑止を目的とした暫定的な国際安全保障の枠組みにすぎない。
 カントは恒久平和の条件として国際的な共和制の樹立と常備軍の廃止を思念したが、排他的な領土の保持を存立条件とする主権国家群が並立する限り、主権国家が常備軍を手放すことは原則としてなく、国連も、各国の常備軍保持を前提とした連合体であるにすぎない。
 国連自身が国連軍を組織する可能性は認められているが、加盟国の常備軍を没収して国連に集中する“刀狩”のような体制ではなく、加盟国の常備軍保持の権利は留保されている。しかも、核保有の特権を公認された五つの大国中心の非対称な運営機構でもあるため、核兵器の廃絶という国際平和の初歩的必要条件すら満たされる見込みはない状況である。
 それでも、国連はここまで何とか第三次世界大戦の危機を冷戦のレベルに抑止し、風雪に耐えてきたが、冷戦終結後は対テロ戦争や五大国に対抗しようとする野心的な国家による核開発という新たな危機に見舞われている。
 特に対テロ戦争は、世界大戦とは異なり、もはや国家間の戦争ではないため、主権国家の連合体にすぎない国連の枠組みでは根本的な解決がつかない。また対抗国家による核開発は、五大国にのみ公認の核保有特権を認めるという国連の不平等な構造のツケである。
 そうした国連の本質的な限界を乗り超え、恒久平和を真に実現させるためにも、主権国家という観念を揚棄して、よりグローバルな統治機構を構想する必要があるのである。
 歴史的にやや図式化して俯瞰すれば、世界共同体とは、第一次大戦後の不安定な休戦的平和の機構であった国際連盟、第二次大戦後の核兵器付きの矛盾した安全保障の機構である国際連合に続き、冷戦及び対テロ戦後に現れるべきはずの恒久平和の機構である。


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