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民衆会議/世界共同体論(連載第25回)

2018-01-15 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(1)国家なき世界へ
 
前章まで論じてきた民衆会議は国家なき統治を前提とする代議制度の構想であったが、国家なき統治はそうした対内的な関係においてのみならず、対外的な関係においても国家なき世界の構想に結びつく。つまり、主権国家という観念の廃棄である。
 対照的に、現在の世界は主権国家の林立状態で成り立っている。帝国主義の時代には主権国家は植民地支配を行なう諸国プラスアルファ程度の数にどとまっていたが、二つの世界大戦を経て、民族自決の思想が浸透すると、民族単位の国民国家の独立が相次ぎ、現時点ではおよそ200に及ぶ主権国家が林立し、現代世界は主権国家の広大な森林のような様相を呈している。
 その結果、林立する各主権国家の利害がまさに枝の絡み合う深い森林のように複雑に入り組み、しばしば深刻な対立・衝突を引き起こしている。第二次世界大戦後の国際社会を規律してきた国際連合も、加盟国の増加に伴い、統一的な意思決定がますます困難になり、その存在意義も揺らいでいる。
 一方で地球環境問題のようにまさにグローバルな意思決定を必要とする重要課題が浮上する中、主権国家体制は限界をさらけ出している。この状況を根本的に転換するためには、主権国家という永きにわたる観念を放棄する必要があるのである。それが、本連載のもう一つの主題である世界共同体(以下、世共と略す)という構想である。
 世共は、現行国連のような主権国家の連合体を超え、世界を一つの共同体として把握する視野に基づく新たな機構である。それは一定の地理的範囲内で自主的施政権を留保された「領域圏」で構成されるグローバルな共同体である。
 従って、この共同体の内には鉄条網や国境警備隊によって管理される国境の概念はない。まさに世界は一つであるから、原則として人は自由に世界中を移動して回ることができるのである。国家なき世界は、当然に国境なき世界である。
 なお、世共の英語名としてはWorld Commonwealthを用いる。commonwealthには「連邦」という含意もあるが、本来的にはcommon:共同の+wealth:富であり、富の世界的な共同管理という経済的な含意も持ち得る語義となる。世共は地球規模での計画経済を担う経済中核機関でもあるので、政治的‐経済的な二義性を持つcommonwealthという用語には含蓄がある。
 もっとも、世共の公用語は英語ではなく、何らかの世界公用語が指定される。従って、世共の正式名称も世界公用語で示されることになるが、ここでは当面、エスペラント語を指定するとして、Monda Komunumoを仮称として示しておきたい。

*この場合、monda:世界の+Komunumo:共同体で、文字どおりの世界共同体を含意し、上記英語名のような含蓄はなくなる。

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