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近代革命の社会力学(連載第117回)

2020-06-22 | 〆近代革命の社会力学

十七 1917年ロシア革命

(4)大戦から革命へ
 20世紀初頭のロシアでは、新たな革命運動のうねりが起き始めていたとはいえ、1905年立憲革命を乗り切った帝政ロシアの体制は安泰に見えた。その安定状況を一挙に変えた事象が、第一次世界大戦であった。そして、この大戦こそが革命への重要なステップとなる。
 歴史的省察に「もし」は禁物と言われるが、もし第一次世界大戦がなければ、ロシア革命は少なくとも成功してはいなかっただろうと言うことは許されるであろう。それほどに、大戦という大状況はロシア革命を準備する決定因であった。
 もっとも、大規模な革命には、その引き金となるような何らかの事象が先行するところ、戦争は通常、愛国的な感情を高め、国民を為政者の下に団結させる契機となるので、支配体制を転覆する革命に直結する事象ではない。しかし、敗戦した場合は別である。
 とりわけ、近代において、戦争が国力を総動員する総力戦となるにつれて、戦争の発動は国民生活に重大な影響を及ぼし、社会経済全般を消耗させるようになった。そのような状況が敗戦の屈辱とともに支配層に対する怨嗟の念を高め、革命の動因となることがしばしば見られる。
 その最初の顕著な事例は、普仏戦争を契機とした1870年のフランスにおける共和革命及び翌年のコミューン革命であった。ロシアでは、日露戦争を契機とした1905年の立憲革命も、その例に数えることができる。いずれも、著しい損害を伴う国の敗戦が契機となった。
 第一次世界大戦は、普仏、日露のような単純な国家間の戦争を越え、列強が同盟を組んで世界規模で戦争を繰り広げるという20世紀的な世界戦争の初例でもあり、後続の第二次世界大戦前としては、まさに総力戦の頂点を極めた大戦であるだけに、敗戦した場合の社会全般的な危機の大きさは想像を絶したであろう。
 その点、大戦頃のロシアの状況を見ると、大戦前には遅れた農業国ロシアでも工業化が進み、労働者が増大するにつれ、労働運動も活性化していた。中でも、シベリアのレナ金鉱労働者が劣悪な労働条件の改善を求めて決起した1912年のストライキは、政府側が軍を投入して武力鎮圧を図ったことで、多くの犠牲者を出す惨事となった。
 これを契機に抗議行動が全国的に拡大し、ゼネストの状況に至ったが、その対決ムードをいったんかき消したのも、世界大戦である。敵陣営の盟主ドイツに対する反感を伴う愛国的ムードの高まりにより、労働運動は背後に退いていったからである。
 ところが、戦況は次第に膠着状態に陥り、1915年に入ると、ガリツィア・ポーランド戦線で大敗するなど、ロシア側の損害は拡大した。最終的には勝者の陣営に立つロシアであるが、実態は敗戦に近いものであり、国民の厭戦気分はやがて帝政ロシア政府に対する怨嗟に変化していった。
 このような状況をとらえ、最初に政府に対する攻勢を強めたのは、立憲民主党(カデット)を中心とするブルジョワ民主勢力である。カデットは、他党とともに国会の絶対過半数を押さえる進歩ブロックを結成し、戦勝のための責任内閣の形成を要求した。
 この時、カデットの創立者で、実質的な党首格のパーヴェル・ミリュコーフ―自身の息子も大戦で戦死―が国会で行った政府弾劾演説は、「愚行か、裏切りか」という有名な文句とともに戦場の兵士にまで届くほど人口に膾炙し、革命的なムードを盛り立てる役割を果たした。


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