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不具者の世界歴史(連載第28回)

2017-06-27 | 〆不具者の世界歴史

Ⅴ 参加の時代

遅れる障碍者の政治参加
 障碍者の社会参加の時代にあっても、社会的領域別に見て最も参加が遅れているのは政治の世界であろう。障碍者の選挙権(投票権)は認められていても、投票のアクセシビリティーの保障はなお不十分である。まして、世界の政治指導者や一般議員の中にさえ、障碍者の姿を見ることは極めて稀である。
 その点、政治職の世襲制が常識であった前近代においては、本連載初期でもいくつか取り上げたように、障碍を持つ為政者が輩出される可能性がしばしばあったのであるが、表向きは非世襲的かつ能力主義的な選挙政治が定着してきた近現代においては、知力や身体能力において健常的な者でなければ政治職に就き難くなり、かえって障碍者が政治から排除されやすくなっているのは、皮肉である。
 そうした中にあって、身体障碍を持ちながら、第二次大戦前と戦後の北米アメリカとカナダでそれぞれ政治指導者となった二人の稀有な人物を取り上げておきたい。
 その一人は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ローズベルトである。彼は下半身麻痺により車椅子を常用していたが、先天性障碍ではなく、40歳近くなってから感染症のポリオを発症した後遺症とするのが通説である(異説もあるが、深入りしない)。
 いずれにせよ、彼は車椅子常用者として、ニューヨーク州知事を経て、合衆国大統領に選出され、今日まで米国史上唯一4期、通算12年にわたって大統領職を務めたのであった。その間、ニューディール政策や第二次世界大戦の指導など、歴史に残る業績を残した。
 とはいえ、ローズベルトは自身の障碍の治療を試みていたため、「障碍者政治家」として自己をアピールすることはしなかったし、それどころか車椅子を使用する姿や自身の障碍を極力見せないような演出をしていたため、大統領が障碍を持つことを知らないアメリカ国民もいたほどだった。
 ローズベルトの時代はまだ、障碍者にとって「参加」の時代にはほど遠かったのである。とはいえ、近代政治において、車椅子のアメリカ大統領の存在は障碍者の政治参加の先駆け的な意義を持っていると言えよう。
 ローズベルトの時代からおよそ半世紀を経た1993年、カナダに顔面麻痺と片耳の聴力喪失という障碍を持つジャン・クレティエン首相が登場した。彼の障碍は幼少期に患ったベル麻痺の後遺症であった。ローズベルトとは異なり、自身の障碍を隠さなかったクレティエンは若くして自由党連邦議員となり、数々の閣僚を経て、党首として93年の総選挙に圧勝して、首相の座に就いたのである。
 この時、従前の政権与党であった進歩保守党は選挙前の169議席から一挙にわずか2議席に激減するという歴史的惨敗を喫して世界的ニュースとなった。その敗因の一つに、進歩保守党が野党党首だったクレティエンの障碍を揶揄するような選挙広告を出した件があった。
 この差別的選挙広告はメディアや与党内部からも強い批判を浴びた。この一件は、それまで優勢が伝えられていた与党の支持率を激減させ、惨敗につながったのだった。一方、圧勝したクレティエンは3期10年に及ぶ長期政権を維持した。
 ここで取り上げた二人の政治指導者は、いずれも後天的な障碍者である。先天的な障碍を持つ政治指導者の事例は、より現在に近い同時代史の中に見出すことも難しい。それは、未来の新たな歴史の中に見出されることになるのであろうか。


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