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近代革命の社会力学(連載第226回)

2021-04-23 | 〆近代革命の社会力学

三十二 エジプト共和革命

(6)革命の余波
 1952年エジプト共和革命は戦後アラブ世界における大きなインパクトを持つ革命事象となり、実際、1950年代から60年代全般にかけて、北アフリカ・中東のアラブ世界全域に同種の社会主義革命の長期的な波を作り出す契機となった。
 後に別途扱うことになるが、この時期のアラブ諸国の主要な革命としては、イラク(1958年)、アルジェリア(1954年‐62年:独立革命)、北イエメン(1962年)、南イエメン(1963年‐67年:独立革命)、スーダン(1969年)、リビア(1969年)の各革命がある。
 また、戦前に結党され、シリアとイラクで1960年代に同時的な革命に成功したアラブ社会主義復興党(バアス党)も、ナーセル主義とは別筋ながら、エジプト革命に触発されて革命行動に出た点では、これらバアス革命も派生的な革命に数えることができる。
 なお、革命という形は取らないながらも、リビア、チュニジア、モロッコといった北アフリカの列強植民地ないし保護国における1950年代の相次ぐ独立にも、エジプト革命は波及的な影響を及ぼしたと言える。
 バアス党が革命主体となったイラクやシリアの革命と民族解放勢力が独立戦争を担ったアルジェリアや南イエメンの革命は別として、多くのアラブ社会主義革命ではエジプト革命の実行細胞となった自由将校団が一つのモードとして模倣されたため、実行主体に着目すれば、「自由将校団革命」と包括することもできる。
 このように多くのアラブ諸国で軍内の青年将校グループが革命主体となったのは、当時のアラブ世界ではいまだ工業化が進展しておらず、労働者階級の組織化も不十分であり、かれらが階級政党を結成して革命主体となることは困難であった反面、軍人は、多くの場合、植民地支配下で育成された最も近代的な人材であったことから、革命的に覚醒する青年将校も少なくなかったという事情がある。
 そのうえ、当時のアラブ諸国の軍部はいまだ組織的に形成途上であり、軍において絶対的な階級制の命令系統も脆弱であったことが幸いし、佐官・尉官級の中・下級士官が下剋上的なクーデターの手法で軍司令部を掌握し、革命を実行する余地があったことも、成功要因となったであろう。
 反面、こうした職業軍人主体の革命は、革命成功後、必然的に旧自由将校団メンバーを中心とする軍事政権の形態を取ることになり、軍部を基盤とする権力集中体制を免れなかった。
 さらに、形式上民政へ移行した後も、ナーセルその人を含め、カリスマ性を帯びた旧自由将校団のリーダーが権威主義的な統治者となるケースも少なくなく、革命後の民主主義の形成を阻害した面があることは否めず、各国ともその後遺は今日まで続いていると言える。
 また、革命後の社会経済発展という面では、社会主義経済の建設が多くの国で難航し、多くはソ連の援助に依存することとなり、かつての植民地経済に代替する新たな従属経済―言わば「社会主義従属経済」―を生じ、自立的な発展を阻害した。
 こうしたアラブ世界における革命潮流は国際関係にも変容をもたらし、社会主義への傾斜を通じてアラブ世界をソ連の勢力圏に組み込むことにもつながった。結果として、戦後の東西冷戦構造をより深化させることとなる。


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