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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(5)

2014-07-23 | 〆リベラリストとの対話

3:国家の廃止について

リベラリスト:『共産論』では貨幣経済の廃止と並び、国家の廃止も重要な柱になっているわけですが、私は貨幣経済廃止論よりも、まだ国家廃止論のほうがいくらか共鳴できる部分があります。

コミュニスト:それはありがとうございます。やはり、アメリカ人は市民生活に介入する国家というものに対して世界でも最も懐疑的な人たちですから、国家廃止論にも共鳴しやすいのかもしれません。私がアメリカに共産主義革命の期待をかけるのも、その点なのです。

リベラリスト:たしかにそれは言えます。ただ、アメリカ人が懐疑的なのは特に合衆国政府に対してです。合衆国を構成する州―ステート(=国家)までは否定しないのが一般です。ご存知のとおり、元来アメリカという国は別々に形成された植民地が集まって設立された人為的な連邦国家ですので、合衆国より州のほうがはるかに重要なのです。

コミュニスト:それだけでもましというものです。私は、かつて同じく人為的に設立されたソ連が解体されたように、アメリカも再び州―ステートごとに解体されたほうが良いとすら考えています。そのうえに、旧メキシコ領だった諸州はメキシコと合併し、それ以外はカナダと合併するのです。

リベラリスト:おや、何だか国家廃止論からアメリカ解体論へと逸れてきているようですが。ただ将来、多くはメキシコにルーツを持つヒスパニック系がアメリカの人口構成上首位に立った暁には、旧メキシコ領の諸州は本当に分離していくのではないかと私も想定しています。でも、それはアメリカ固有の問題だと思いますが。

コミュニスト:そうでもありません。アメリカの帰趨はやはり世界全体に大きく影響しますから、範例となります。アメリカがいったんバラバラに解体されることは、ソ連の解体以上に、世界の構造を大きく変えるでしょう。国家の廃止の出発点になります。

リベラリスト:あなたは『共産論』の中でも国家は国民を国境線と国籍で囲い込み、税金奴隷化・戦争奴隷化していると厳しく非難されますが、そうはいっても、国家という枠組みのポジティブな面にも目を向けるべきだと思います。

コミュニスト:国家という枠組みのポジティブな面とは具体的に何なのでしょうか。

リベラリスト:国民を保護する機能です。今日でも国家という枠組みにとらわれずに生活しているアマゾン地域の文明未接触部族を見ればわかりますが、かれらは国家の「奴隷」と化した文明人より「自由」な反面、その生活はとても過酷なものです。

コミュニスト:何度か強調しているように、現代共産制はそうした原始共産制のイメージでとらえられてはならないのです。現代共産社会も文明化された産業社会ですが、その仕組みを根底から変えようというのです。ですから、国家は廃止されても、民衆会議制を通じた社会統治の機構は存在し、民衆の生活には今以上に配慮されます。国家は国民を保護すると称しながら、実際には財界の利益を保護しているだけです。

リベラリスト:そのご批判は共有できます。ですが、いわゆる民衆会議制によって利権構造が一掃できるという確かな保証もないのでは?

コミュニスト:貨幣経済を温存するなら、その懸念はあります。貨幣は人間の判断を狂わせ、歪めますから、金銭的利益のためには、誤った政策も平然と執行されます。だからこそ、国家の廃止は貨幣経済の廃止と切り離せないのです。

リベラリスト:なるほどそういうことですか。ただ、貨幣経済は廃止するが、国家は廃止しないということも理論上は可能ではないでしょうか。私は推奨しませんが。

コミュニスト:国家は通貨高権と切り離せません。通貨統合により通貨発行権を喪失した欧州諸国で反EUの巻き返しが起きているのも、EUが超国家化することへの懸念からです。一方、近年注目されるビットコインのような私的仮想通貨も、国家発行通貨との換算で成り立ちます。国家は、貨幣経済の政治的化身と言っても過言ではありません。

リベラリスト:どうしても、国家を退治してしまいたいようですね。まあ、アメリカ的価値観を最大限発動してそれに乗るとしても、議会制度まで手放すことはアメリカ的価値観からは受け入れ難いものがありますので、次回対論してみましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。 

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