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近代革命の社会力学(連載第464回)

2022-07-25 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(6)リビア革命

〈6‐1〉「無職者」独裁体制の特異性
 チュニジア革命を端緒とする連続民衆革命は、エジプトからいったんアラビア半島のイエメンに飛び火した後、再び北アフリカに戻って、リビアで革命を惹起した。
 1969年の社会主義革命以後のリビアは、革命指導者であったムアンマル・ガダーフィ(カダフィ)の独異的な政治理論にのっとり、標榜上はジャマヒリーヤ(人民共同体)を基本とする直接民主主義政体であるとされていた(拙稿)。しかし、この政体の実態はその理論とは乖離したガダーフィの個人崇拝的独裁政にほかならなかった。
 ガダーフィは革命10周年の1979年には一切の公職を退き、名誉称号としての「革命指導者」を冠するのみで、30歳代にして表向き「引退」したが、これはまさに表向きのことで、その後も2011年の革命まで彼が事実上の独裁者であることは公然の秘密であった。
 2011年革命前のリビアは、何らの公職にも就かない「無職者」が一国を直接に独裁支配する〝直接独裁主義〟とも言うべき世界にも類例を見ない特異な体制が30年以上にわたり継続するという状況にあった。
 しかし、そうした特異な体制下にあっても、豊富な石油収益に支えられ、教育や福祉の制度が整備され、革命前年の2010年のリビアは国際連合が用いる人間開発指数においてアフリカ諸国で最も高い水準にあり、相対的な豊かさと安定を享受していたことも事実である。
 とはいえ、石油収入に依存した経済構造のゆえに、失業率は高く、低所得層も多い中、国内企業の多くをガダーフィ一族が所有・支配しており、「無職」であるはずのガダーフィ本人も内外に巨額資産を蓄積し、豪奢な生活を享受するなど、他のアフリカ諸国でも見られた国庫私物化の窃盗政治の兆候が色濃く表れていた。
 一方、独裁体制下の人権状況は最悪レベルで、恒常的な検閲・報道統制と秘密警察による社会監視に加え、反体制派に対する公開処刑など前近代的な蹂躙も見られた。

〈6‐2〉政治経済「改革」とその挫折
 こうして、1969年革命以来、アフリカでも最長の40年に及ぶ長期体制が続く中、安定の中にも閉塞感が見え始めると、革命40周年を前にした2008年、ガダーフィは石油収益の国民への直接的分配を標榜する大胆な政治経済改革に乗り出した。
 これは経済的な面における「直接民主主義」の導入とも言える新提案であったが、その障害となる官僚的行政機構の解体、すなわち国防と保安、社会戦略事業を実施する官庁を除き全政府機関を廃止するという大胆な提案にまで踏み込んだ。
 これはある種のアナーキズムの提案であり、持論であるジャマヒリーヤ理論の集大成を試みたものとも言えるが、ガダーフィ自身やその一族の利権には切り込まない「改革」であり、それはむしろ体制維持のための民衆慰撫策とも取れるものであった。
 この新提案に対し、議決機関である基礎人民会議はほぼ否定的で、2009年の投票で大半が改革の実施を遅らせるべきことを決議した。その理由として、「改革」の実施により深刻なインフレーションや資本逃避が発生する恐れありという技術的な理由が挙げられていたが、実際は官僚機構側からの拒絶反応であった。
 ともあれ、事実上の個人崇拝独裁体制にあって形骸化していた人民会議がガダーフィに逆らうのは異例であり、「改革」の挫折は、革命二年前に当たるこの時点でガダーフィの威信が揺らぎ始めていたことを示す兆候とも言えた。


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