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近代革命の社会力学(連載第354回)

2021-12-27 | 〆近代革命の社会力学

五十一 グレナダ・ニュージュエル革命

(1)概観
 1979年のイラン革命と同年に、中米の二つの小国で、国際秩序にも少なからぬ影響を及ぼすことになる革命が連続した。これらは、いずれもマルクス‐レーニン主義を奉じる運動体による革命であり、そうした傾向の革命としては、現時点で最終となるものである。
 その二つの革命のうち先行したのが、1979年3月のグレナダ革命である。グレナダは当時人口10万人にも満たないカリブ海の島国であったが、この地で発生した革命は、最終的にアメリカによる武力侵攻という事態を招くことになった。
 ニュージュエル(New Jewel)とは、グレナダ革命を主導した革命運動団体であるNew Joint Endeavor for Welfare, Education, and Liberation(福祉、教育及び解放のための新合同運動)の頭文字を抜き出した略称である。合同という標榜からも知れるように、元来は二つの左派系政治運動体が合同して結成された組織である。
 グレナダは、西欧列強が競争的に侵出し、奴隷貿易で獲得した黒人奴隷を使役するプランテーション植民地化したカリブ海域の島嶼の一つであり、曲折を経て18世紀以来、英国植民地として確定、第二次大戦後は、近隣の英領島嶼域と併せて、西インド連邦に編入されていた。
 その後、1960年代に西インド連邦が解体され、単独植民地となった後、67年に自治政府樹立、74年には英連邦に属する連邦王国として独立を果たした。独立の過程は、周辺の旧英領島嶼域とともに、英国自身の植民地放棄政策にも沿った平和裏なものであった。
 黒人解放奴隷の子孫が多数派を占めるカリブ海の旧英国植民地は独立後も英国モデルの議会制を採用し、ほとんどが平穏な滑り出しを見せていた中、グレナダでは例外的に独立から程なく革命が勃発することになった要因として、労働運動指導者として台頭し、独立前からグレナダ政界を支配してきたエリック・ゲイリーの独裁政治があった。
 ニュー・ジュエルは、そうしたゲイリー独裁へのアンチテーゼとして、独立に際して青年活動家を中心に結成された革命的政治運動であった。その際、マルクス‐レーニン主義が志向されたのは、この地域における革命の成功例となっていたキューバの影響であろうが、ニュー・ジョエル運動は教条的な共産党組織ではなく、名称通り、福祉や教育分野での革新と黒人解放に重点を置いていた。
 外交上は親キューバながら、内政面ではキューバと一線を画したカリブ式の新たな社会主義の試みとして注目されたグレナダ革命であったが、運動内部の権力闘争から、1983年にクーデターが発生、親ソ派の教条主義的な一派が政権を奪取したことに危機感を抱いたアメリカによる武力侵攻により、革命は挫折させられた。
 グレナダのような小国にアメリカがあえて軍事介入するのは異例のことであったが、これによって小国における革命は国際事件に進展することになった。それは、イラン革命とソ連のアフガニスタン軍事介入によって冷戦が複雑化した新たな緊張関係を象徴する出来事であった。


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