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近代革命の社会力学(連載第355回)

2021-12-28 | 〆近代革命の社会力学

五十一 グレナダ・ニュージュエル革命

(2)独立と独裁
 グレナダでは英領時代の1951年に初の自由選挙が実施されたが、この時勝利したのがエリック・ゲイリーに率いられたグレナダ統一労働党である。ゲイリーは1950年代から労働運動指導者として若くして頭角を現した人物で、労働運動を土台にグレナダ統一労働党を結党した。
 この党は労働の名を冠しているが、実際には民族主義を基盤とした右派労働者政党という特質を持っていた。その点で、英国本土の最大左派政党である労働党とはイデオロギー的にも異なる独自の政党であった。しかし、当時、独立運動を抑圧する方針を採っていた英国はゲイリーの政治活動を禁じたため、彼は一時議席を喪失した。
 61年に許され、補欠選挙で返り咲くと、初めてグレナダ首席大臣となるも、英国総督により会計上の不正を理由に罷免され、62年の総選挙で敗北、67年までは野党に回った。しかし、67年に勝利して首相に返り咲くと、74年の独立をはさんで連続的に首相を務め、グレナダにおける最高実力者の地位を固めた。
 こうして、表向きは労働運動と独立運動の指導者して初代首相という輝かしい履歴の人物と見えたゲイリーであるが、その支配には裏があった。彼は、独立前の60年代から、マングース・ギャングと称された私兵集団を培養し、抗議デモの粉砕や政敵の暗殺に利用していたのだった。
 この私兵集団は公式の警察と協力する形で司法的にも免責されて不法な活動を公然と行い、ゲイリーの支配下で恐怖政治の道具として機能していた。そのため、有力な野党は育たず、統一労働党の一党優位が確立されていた。
 そうした中、1970年になると、弁護士出身のモーリス・ビショップが設立した新党・人民会議と教育、福祉及び解放のための運動の両団体が合併して、独立直前の73年にニュージュエル運動(NJM)が結成された。
 ビショップの旧人民会議は元来、タンザニアのアフリカ社会主義の影響を受けており、NJMのマニフェストも教育や福祉などの社会開発に重点を置くなど、イデオロギー的には混合的であったが、一方でNJMは当初から軍事部門として国民解放軍を備え、武力革命を想定した組織として成長していく。
 これに対し、ゲイリー政権は早速にNJMの弾圧を開始する。1973年から翌年の独立の前後にかけて、政府とNJMの衝突が続き、この間、NJMの統一指導者となったビショップも繰り返し拘束された。
 この時点で、都市労働者層は組合を通じてゲイリーの統一労働党に包摂されており、新興のNJMは充分な大衆的基盤を持っていなかったため、私兵集団を含めた圧倒的な物理力を擁するゲイリー体制を前に、NJMによる革命が成就する客観的な可能性は乏しく見えた。


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