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近代革命の社会力学(連載第227回)

2021-04-26 | 〆近代革命の社会力学

三十三 アルジェリア独立革命

(1)概観
 北アフリカでは、1952年のエジプト共和革命に続き、1830年以来のフランス植民地アルジェリアでも1954年に民族解放組織(アルジェリア民族解放戦線)が決起して革命が勃発した。
 その点、エジプトでは、すでに第二次大戦前に形式上はイギリスからの独立が達成されており、52年革命は事実上イギリスの傀儡化していた君主制を打倒する共和革命となったのに対して、アルジェリアは戦後もフランスの完全な植民地支配下にあったため、革命の最大目標が独立に置かれたことから、独立革命という性格を持った。
 アルジェリア独立革命が開始された1954年は、宗主国フランスにとっては、アジアにおける枢要な植民地であったベトナムの独立を阻止するためのインドシナ戦争に事実上敗北し、ベトナムを喪失した年度でもあり、それ以上の植民地の喪失を何としても避けたい時であった。
 中でも、アフリカ大陸で歴史的に最もフランス人入植者が定着していたアルジェリア植民地の護持はフランスにとって譲れない限界線であり、国力を挙げてアルジェリア独立阻止に動いたことから、独立革命は独立戦争に転化した。
 これに対して、戦後、オランダからの独立戦争を経て独立したインドネシアのバンドンで、エジプトのナーセルも参加して開催された1955年のアジア・アフリカ会議はアルジェリアの独立をいち早く支持するなど、国際社会ではアルジェリア独立を支持する流れが形成されていった。
 そのため、フランスは孤立化し、最終的には独立を許す結果となった。フランスにとっては、アジアとアフリカで枢要な植民地を喪失し、フランス植民地「帝国」が解体する契機となった出来事である。
 一方、いまだ西欧列強の植民地支配下にあったアフリカ内外の諸地域にとって、アルジェリア独立革命は、56年のスエズ危機におけるエジプトの勝利に続き、希望の星となる出来事であり、思想と運動の両面で大きなインパクトを及ぼし、独立運動を刺激した。
 決起からおよそ8年の歳月をかけたアルジェリア独立戦争は今日でも戦後史に残る解放戦争の成功例として記憶されているが、その長期的な経過は、あたかも18世紀のアメリカ独立革命に通ずるところがある。
 異なるのは、革命成就後、社会主義に傾斜した民族解放組織がそのまま一党支配による社会主義体制を樹立したことである。そのため、アルジェリア独立革命をエジプト革命を起点とする60年代にかけてのアラブ連続社会主義革命の流れに位置付けることもできないではない。
 しかし、独立後の体制変動として生じた他の社会主義諸革命とは異なり、アルジェリアの場合は、独立の達成が第一の目標に置かれたことから、本連載では別途扱うことにする。


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