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マルクス/レーニン小伝(連載第16回)

2012-08-30 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 略

第3章 『資本論』の誕生

(3)経済学研究の道(続き)

『政治経済学批判』の完成
 こうしてどん底の中での研究の結果、1859年に公刊されたのが『政治経済学批判』(以下、単に『批判』という)である。マルクス41歳。大英博物館で研究を始めてから9年の歳月が経っていた。そのわりに本文170ページと薄手の本になったのは、元来マルクスは全六部構成という壮大な大著を企画しており、『批判』はそのうちの第一分冊にすぎなかったためである。
 持ち込み原稿のうえ内容も難解で出版社探しは容易でなかったが、当時マルクス、エンゲルスと交流があり、後にドイツ労働者総同盟を結成するフェルディナント・ラサールの仲介でベルリンの出版社から初版千部で刊行される運びとなった。
 しかし、この自信作は著者の期待に反してほとんど売れず、マルクス生前には初版のみで絶版となってしまった。そのため、予定していた続巻の刊行も断念せざるを得なかった。ただ、『批判』の内容はその8年後にプランを変えて出した主著『資本論』第1巻の中により練り上げられた形で収録されたため、今日では『批判』はその本文よりも序言のほうに重要な意義が認められている。というのも、序言にはマルクスの経済学研究の理論性格と基本視座が自身の言葉で簡潔に要約紹介されているからである。
 そうした序言の概要をも参照しながら中期のマルクスが到達した経済理論の性格を考えると、それは『政治経済学』という表題―同じ題が『資本論』では副題として使われている―が如実に示すように、古典派経済学(政治経済学)に代替する新たな経済学体系なのではなく、資本主義生産様式とそれに照応する経済理論である古典派経済学(政治経済学)への体系的批判理論であった。
 従って、いわゆる「マルクス経済学」なるものは幻想である―そう言って悪ければそれは後世の人々がマルクスの名を冠して構築したマルクスその人とは無関係の学問であると言って過言でない。ちょうど政治路線としての「マルクス主義」がマルクスその人とは無関係であったように。
 一方、このマルクス独自の「政治経済学批判」は脱歴史化された理論経済学でもなく、その基底には先行的に確立してあった唯物史観が埋め込まれた歴史理論でもあった。それが『批判』序言の中ではやや図式化された形で、有名なアジア的→古代的→封建的→近代ブルジョワ的生産様式という発展段階論、さらに土台としての経済的構造の上に法的かつ経済的な上部構造が構築されるとする社会構造(構制)論として凝縮されている。
 同時にまた、この「政治経済学批判」は単なる経済理論に終始せず、社会革命の条件を探る社会理論をも内包している。すなわち社会の物質的生産諸力がある発展段階で既存の生産諸関係と矛盾を来たし始めた時点で社会革命の時期が始まる。逆言すれば、一つの社会構成体は全生産諸力がその中で完全に発展し尽くされない限り没落することはない。なおかつ新たな高度の生産諸関係はその物質的な存在諸条件が既存社会の胎内で孵化し切らない間は旧来の社会構成体に取って代わることはない。
 この「革命の孵化理論」と呼ぶべき社会理論は公式的な唯物史観テーゼの影に隠れてあまり注目されてこなかったが、これはマルクスにおける「革命の科学」と呼んでもよい「政治経済学批判」の重要な柱を成している。
 このように中期のマルクスが到達した「政治経済学批判」は包括的かつ複合的な社会批判理論として姿を現すのである。


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