ザ・コミュニスト

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狼少年の科学

2012-09-01 | 時評

どうも“想定外”の3・11以来、地震学は狼少年になってしまったようだ。実際3・11が起きていなかったら、将来起きるとされる南海トラフ大地震での想定死者数32万人などという数字を後知恵的に出してはこなかっただろう。気象庁の度重なる空振り津波情報も然りである。

「命を守る」という誰も反論できない大義を掲げつつ、その裏では予測が外れた場合の予防線を張っているように思えてならない。科学者は過大な予測が外れてもさして非難されないが、3・11のように過小な予測が外れれば非難の矢面に立たされるからである。

だが、予測は科学本来の仕事ではない。科学の仕事は過去に起きた事象、ないし現に起きている事象を科学的方法論に従って分析し、論理的に説明することである。その結果引き出されたデータから比較的短期的な将来に起こり得る事象を予測することはできるが、それでもそうした予測は科学にとってせいぜい余技である。

3・11に関して科学者がなすべきことは同日発生した地震・津波の要因やメカニズムを分析し、説明することである。地球の自然現象は複雑なだけに、それには相当な時間を要するだろう。そうした科学本来の仕事が済まない間に、脅しまがいの予測に走るのは科学的任務の本末転倒である。

ついでに言えば、関東大震災記念日の今日、恒例行事のように行われる防災訓練も科学的とは言えない。これも一定の想定シナリオに基づいて訓練を実施するという点では、やはり予測に基づいているのであるが、事前の想定どおりに起きてくれる災害など一つもないのだから、訓練を絶対視していると、かえって想定外事態に直面して命を落としかねないのだ。

実際、3・11でも指定避難所が津波の“遭難所”と化して相当数の犠牲者を出した。それを分析し、反省もしないで、また新たな「想定」の下に訓練を何万回実施しても新たな“想定外”に直面するだけである。

自然現象、とりわけ自然災害はすべて“想定外”である━。この冷徹な科学的経験則に立って、科学が本来の任務に専従することを望みたい。


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