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ザ・コミュニスト

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奴隷の世界歴史(連載第43回)

2018-02-18 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制 

古代ローマの奴隷制
 古代ローマはラテン族の都市国家としてスタートしたが、初期から奴隷制を擁していた。伝説によれば、ローマの建国者ロームルスが家父長に我が子を奴隷として売ることを認可したことに発祥するとされるが、この伝説が暗示するのは、おそらく貧困対策的な目的からの奴隷売買である。
 その真偽はともかく、ローマが強勢化していくにつれ、ローマの奴隷制は拡大していき、ローマ帝国の社会経済を支える不可欠の支柱となった。ローマ法上、奴隷制は自然法に反すると認識されながら、実際の必要上正当化されていたのである。そうした点では、古代ギリシャの奴隷制以上に実際的な面があった。
 古代ローマの奴隷も市場で売買される家産とみなされ、法人格を認められなかったが、他方で事実上の個人財産を保持し、事実婚をすることもできた。また技能を持つ奴隷は自立して生計を立てることができ、有償で解放され得るなど、柔軟性もあった。ローマの解放奴隷身分については、後に別項で見ることにする。
 古代ローマ奴隷制の大きな特徴として、その専門分化とそれに応じた階級内階級分岐が挙げられる。大別すると私有奴隷と公有奴隷とがあったが、大半は私有奴隷であった。私有奴隷にも、中上流階級の邸宅で家事に従事する家内奴隷や貴族の従者、各種専門職、剣闘士、地方の農場で農業労働に従事する農場奴隷といった種別があった。
 家内奴隷は各種家事を担う奴隷で、比較的良い暮らしが保証されており、解放される可能性も高いカテゴリーであった。従者は幼少期から家庭教師によって子弟とともに育成され、貴族子弟に匹敵する地位が与えられた特級待遇の奴隷であった。
 現在では公的資格・免許によって認証される専門職の多くも古代ローマでは奴隷の職業であり、ギリシャ人が充てられることが多かった。このカテゴリーには会計士や医師、家庭教師、個人秘書といった知的・事務的専門職が含まれる。こうした専門職奴隷は付加価値が高いため転売目的で育成され、一種の利殖投資の対象物とされることもあった。 
 私有奴隷の中で過酷な運命にあったのが、農場奴隷である。元来、古代ローマでは小農でも奴隷を使役するのが慣例であったが、大土地所有制の発達により、いわゆるラティフンディウム農場で使役される奴隷が増大した。これら農場奴隷は肉体労働者であり、専門的な技能に欠ける奴隷が投入、酷使され、解放される可能性も低かった。
 しかし肉体的な面では、剣闘士奴隷が最も悲惨だったかもしれない。剣闘士は古代ローマで最も人気の高い格闘技であった剣闘の選手であるが、真剣を使った実戦の形を取ったため、敗戦すれば重傷・死亡を免れなかった。その悲惨な境遇ゆえに奴隷反乱にも関わることになる剣闘士については、後に別項を立てて見ることにしたい。
 一方、公有奴隷は東洋のに類似し、国家や都市によって公的に所有され、建設や清掃その他様々な公共事業に使役された。中でも鉱山奴隷の労働環境の苛酷さは際立ち、事故や酷使による死者は後を絶たなかった。
 また公有奴隷の一種に下級官吏があった。古代ローマの執政官をはじめとする上級行政職は貴族の名誉ある無償奉仕として行なわれていたが、その下で行政事務に当たる下級官吏は奴隷身分の者が充てられた。彼らは、私有奴隷における個人秘書のような存在と言えるかもしれない。


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