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近代革命の社会力学(連載第393回)

2022-03-11 | 〆近代革命の社会力学

五十六 中・東欧/モンゴル連続脱社会主義革命

(7)ルーマニア革命

〈7‐2〉経済的下部構造の揺らぎ
 1980年代までに、政権世襲も視野に入れた一族独裁体制を固めたチャウシェスクであったが、その時点で階級支配の打破を原点とする共産党の理念から大きく逸脱していたことはさておいても、そうした強固な独裁体制が揺らぎ始めるのは、経済的下部構造の破綻からであった。
 元来ルーマニアではチャウシェスクの前任者の時代から、ソ連式計画経済のもとで工業化に成功しており、チャウシェスクの登場時には西側にも比肩し得る工業生産力を達成していた。しかし、チャウシェスクは、さらなる経済発展の上積みを狙い、経済開発資金として独自外交によって関係を深めた西側諸国からの融資を大幅に増やした。
 西側でも冷戦渦中でのルーマニアの独自路線を好感し、気前の良い融資を続けた結果、ルーマニアの対外債務は短期間で累積し、国家財政を圧迫したため、政権は一転して将来的に外国からの借款を禁ずるとともに、対外債務返済のためにいわゆる「飢餓輸出」政策を導入した。
 この政策のもとで農産物や工業製品などが大量に輸出に回されたため、生産力自体は維持されていても、国内消費に回される物資が欠乏する事態に陥った。これは同時期に消費経済に重心を置く「グヤーシュ共産主義」で一定の成功を収めていたハンガリーとは対照的な事態であった。
 結果、1980年代のルーマニアでは、生産力は維持されていながら戦時下のような食糧配給制が敷かれ、地方には軍の配給隊が巡回する事態となった。こうした物資不足に拍車をかけていたのは、チャウシェスクが権力を握って以来、目玉政策としてきた人口増加政策であった。
 チャウシェスクは宗教上の観点ではなく、人口増が国の繁栄を支えるという教条に基づく純粋に社会計画的な観点から、妊娠中絶と離婚の原則的禁止という策を採用し、人口増を政策的に推進してきたため、80年代には生産力が人口に見合わないアンバランスが生じていた。
 その副産物として、孤児問題が生じた。すなわち多産のために遺棄された子どもたちが孤児院に送られ、多くは劣悪な環境で虐待やエイズ感染などの危険にさらされ、革命後の90年代には孤児院の破綻によりストリートチルドレン化することにもなる。
 一方、チャウシェスク政権は飢餓輸出政策の傍ら、1970年代から「体系化政策」と命名された強制的都市化政策を実施していた。これは元来は農業国で小村が多いルーマニア全土の都市化を推進するという教条的な開発政策であり、結果として農村の破壊が進行するとともに、首都では国の中枢機能すべてを収容する3000室超の壮大な「人民宮殿」の建設などの大規模公共事業により国費の浪費を招いた。
 とはいえ、革命直前の1989年夏には対外債務は完済されており、経済正常化へ向けた新政策への転換も期待される段階にあったが、国民政策の窮乏は覆い隠せるものではなくなっており、強固に見えた体制も下部構造が大きく揺らぎ始めていたのであった。


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