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犯則と処遇(連載第5回)

2018-11-16 | 犯則と処遇

4 法定原則

 「ベッカリーア三原則」の第一は罪刑法定主義であった。「犯罪→刑罰」体系の下ではまさに犯罪と刑罰との対応関係が法律で明確に定められていなければならないとする法定原則が、刑罰制度の恣意的な運用を防止する最低限の担保となる。
 このような法定原則は「犯則→処遇」体系の下でも基本的に妥当する。すなわち、犯則と処遇との対応関係は法律で明確に定められなければならない。このことは法治主義の一般原則からしても当然であるし、「処遇」といえども義務付けを伴う以上、対象者の権利を制限する性質を免れないからでもある。

 もっとも、「犯則→処遇」体系においては、犯則ごとに個別の処遇法が定められるわけではない。例えば、傷害についてみれば、「人を傷害した者は、××の処遇に付する」というように、予め個別的に処遇が対応的に定められるわけではない。なぜなら、矯正のための処遇法は、各犯則行為者の特性に応じて科学的に選択されるからである。
 結局のところ、「犯則→処遇」体系における法定原則とは、何が矯正処遇(またはそれに代わる保護処遇)を要する犯則であるか、また処遇法としていかなる種別と内容とが与えられるかについて予め法律で定めておくことを意味する。

 ところで、罪刑法定主義というとき、犯罪と刑罰との対応関係を定める法律は一般法(一般刑法)にとどまらず、特別法(特別刑法)を含んでいる。そのために、現代国家は一般刑法に加えて無数の特別刑法を抱えるようになっており、一国における刑罰条項の精確な総数を誰も数え上げることができないほどである。こうした刑罰の増殖・インフレ現象は一般市民に犯罪と刑罰との対応関係を見えにくくさせ、ひいては犯罪の防止にも逆効果となっている。
 これに対して、「犯則→処遇」体系の下における法定原則では、犯則と処遇の内容を基本的に一般法で定めることが目指される。このことは、特別法の存在を一切許容しないという趣旨ではなく、交通事犯や薬物事犯といった一般法では律し切れない特殊な犯罪への対応を定める特別法の存在は排除しない。しかし、それらは必要最小限にとどめられる。

 そうした一般法は「犯則→処遇」体系の全体を包括する統合法、すなわち「犯則法典」として編纂されるのでなければならない。
 すなわち、犯則法典は日本の現行刑事法体系で言えば、刑法、刑事訴訟法に刑事収容施設法、さらには更生保護法の一部までカバーするような広範な内容を持つことになるのである。
 このような統合法であることによって、一般市民も「犯則→処遇」の手続き的な流れを一本の法律から一覧的に把握できるようになる。法定原則の究極的な意義は、このように犯則と処遇の内容が包括的に事前告知されるところにこそあるのである。


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