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近代革命の社会力学(連載第173回)

2020-12-01 | 〆近代革命の社会力学

二十五 スペイン・アナーキスト革命

(1)概観
 1700年以来、フランス系のボルボン朝が支配してきたスペインでは、1873年に共和制移行政変が起きたが、この史上初の第一共和政は一年と持たずに自滅し、たちまち王政復帰した。
 しかし、この後、19世紀末から20世紀初頭にかけてのスペイン王国は、新興のアメリカとの戦争に敗れて、まだ残されていたフィリピンやキューバといった植民地を喪失し、弱体化が著しかった。
 スペインは第一次世界大戦を中立政策で切り抜けたものの、戦後は不況に見舞われ、労働運動が促進された一方、バスク地方やカタルーニャ地方の分離独立運動の激化、さらには「アフリカ分割」に乗り遅れたスペインにとって希少なアフリカ植民地であったモロッコでの現地部族の大反乱などの内憂外患に陥った。
 こうした苦境打開のため、時の国王アルフォンソ13世は保守的な職業軍人ミゲル・プリモ・デ・リベーラのクーデターを承認し、権力を委任する形で、1923年から30年までイタリアのファシズムに類似した疑似ファシズムの軍事独裁体制を通じて君主制を護持した。これには、政情不安と革命を恐れるカトリック保守層や地主階級の支持もあった。
 しかし、公共支出を増大させたプリモ・デ・リベーラ政権の放漫財政により財政が悪化し、通貨ペセタの下落を起きていたところへ、大恐慌の影響がスペインにも及び、ペセタが暴落、1930年には見切りをつけたアルフォンソ13世がプリモ・デ・リベーラ首相を辞職させ、委任独裁統治を終わらせた。
 翌年1931年4月に施行された統一地方選挙で共和派が勝利すると、革命の勃発を恐れたアルフォンソ13世は自ら退位・亡命する道を選択した。このような革命予防的な君主の自主退位は稀有の事象であるが、この決断により、スペインは革命によらずして共和制に移行した。
 この第二共和制下で地方自治や女性参政権を保障するスペイン史上最も民主的な憲法が制定され、新生スペインが動き出すが、君主制の軛から解放された保革の党派対立はかえって激化し、政情不安が続く中、1936年の総選挙で共産党を含む革新派の政党連合・人民戦線が勝利して、革新派連立政権が発足した。
 このような選挙を通じた中央の新政権の成立を大状況としつつ、カタルーニャ・アラゴン・アンダルシアなどの地方のレベルで、労働者自主管理を基調とする革命が順次進展した。この地方革命は、急進的な労働運動団体とアナーキスト団体が共同戦線を張る形で実行されており、全体としてアナーキズムの理念で統合された革命であった。
 このようなアナーキスト系の革命としては、1870‐71年のフランス・コミューン革命が先駆けであったが、一定期間持続したものとしては、1936年スペイン革命が最初のものである。
 その意味で、その後、1938年にかけて続いた地方革命体制は、他国の諸革命とは大きく異なるユニークな様相を示した。それだけに、内(人民戦線政府)と外(保守派軍部)二方向からの圧迫にさらされることにもなった。


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