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近代革命の社会力学(連載第56回)

2019-12-30 | 〆近代革命の社会力学

八 フランス・コミューン革命

(1)概観
 フランス・コミューン革命は、1870年から翌年にかけて、パリを中心に労働者階級を主体とする革命的自治体政府コミューンが各地に設立された一連の革命的事象を指している。通常は71年3月、パリに設立されたコミューンに代表させて「パリ・コミューン」と指称されることが多い。
 実際のところ、同様のコミューンはマルセイユやリヨンなど南仏を含む他の都市にも設立され、パリ一都市だけの革命ではなかったが、結局、過去の革命のように全国総体の革命には進展しないまま挫折したため、圧倒的な中心であったパリに代表させて「パリ・コミューン」と指称されるようである。しかし、本稿ではより広く「フランス・コミューン革命」と呼ぶことにする。
 この革命は、第二次欧州連続革命の一環でもあった1848年二月革命からおよそ20年後に起きている。この間、欧州では大きな社会変動が起きていた。すなわち、フランスをはじめ欧州主要国では産業革命が一層進展し、農業中心社会から労働社会への転換が生じていた。それに伴い、労働者が国内にとどまらず、国境を越えた階級的凝集性を示し、国際労働者協会(第一インターナショナル)のような国際労働運動も勃興していた。
 そうした状況下、世界歴史上初の労働者階級主体による革命的蜂起がフランス・コミューン革命である、と一応は言える。しかし、「一応」という留保が必要なのは、コミューン革命で革命的基軸となったのはまさにコミューンであって、この時点では労働者党のような階級政党はまだ形成されていなかったからである。
 マルクスとエンゲルスは1848年の第二次欧州連続革命の渦中で有名な『共産党宣言』を取り急いで発表したが、共産党という政党は実際には存在していなかったし、共産主義者というものも、それを自称する者はいても、社会的にはまだ認知されていなかった。
 思想的な面でフランス・コミューン革命に最も影響を与えたのは、マルクスとは対立していたジョセフ・プルードンのアナーキズムであった。その後、アナーキズムに塗り込められた暴力のイメージとは裏腹に、プルードンのアナーキズムは互助思想を基本とした非暴力・平和主義であった。
 プルードン自身は革命に先立って1865年に世を去ったため、コミューン革命に参加することはなかったが、プルードン思想は革命前の第二帝政時代の労働運動においてマルクスをはるかにしのぐ影響力を持っていたから、コミューン革命においてもプルードン主義者は大きな役割を果たした。そのため、コミューン革命は、後のロシア十月革命のように、明確な社会主義革命という性格を持たなかった。
 また、革命の方法論的な特徴としても、この革命はまさにコミューンという地方自治政府を主軸としていたため、各地のコミューン間の連携という点では不十分なものがあり、後でも述べるように、あえてパリをいったん放棄して地方から順次鎮圧していくという反革命派の戦略的術中にはまり込んでしまった。そのような方法論的失敗は、この革命を短期間で挫折させる要因となった。
 そのため、フランス・コミューン革命はむしろ革命鎮圧作戦の手本として後世に残ってしまったが、コミューン革命が示した綱領は19世紀末以降の労働運動、革命運動に影響力を保ち、仮にもフランス・コミューン革命が長期的な成功を収めていれば、その後の世界歴史の進路は大きく変わることになったかもしれない。


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