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近代革命の社会力学(連載第174回)

2020-12-02 | 〆近代革命の社会力学

二十五 スペイン・アナーキスト革命

(2)人民戦線とアナーキズムの台頭
 スペインのアナーキスト革命が勃発するに当たっては、1930年代のソ連及びコミンテルンがファシズムに対抗するために採用した新方針である人民戦線戦略が大きな触媒となっている。人民戦線は、反ファシズムを旗印として、共産党をはじめとする革新政党・諸派が連合する新たな政治戦略であった。
 この方針は本来はソ連共産党主導の国際的な革命指令機関であったコミンテルンの1935年第7回大会で決議されたもので、従来、ロシア以外では共産党主導の革命が進展しない中、とりわけフランス、スペインのような西欧諸国において、共産党が他の革新政党と連合し、選挙で政権獲得を目指す新たな革新運動の戦略として現実性を持っていたことは確かである。
 このような人民戦線戦略が最初に実を結んだのが、スペインであった。スペインでは1920年に共産党が結党されていたが、弱小政党にすぎず、1931年の共和制移行政変後の総選挙では、33年にようやく1議席を獲得したに過ぎなかった。
 そうした中、36年総選挙を前に、共産党の他、より歴史の古い穏健派のマルクス主義政党である社会党、反スターリン主義のマルクス主義統一労働者党に、非マルクス主義の共和主義左派や、より中道的な共和主義同盟が人民戦線を組んで選挙に臨み、勝利したのであった。
 しかし、人民戦線の中心は最多議席の99議席を獲得した社会党とそれに次ぐ共和主義左派にあり、政権の顔となる首相(後に大統領)には共和主義左派のマニュエル・アサーニャが就任するというように、人民戦線政府は穏健な方向でまとめられていたため、マルクス主義統一労働者党は政権に参加せず、急進的アナーキスト団体は人民戦線に反対し、棄権していた。
 こうした中央政府レベルの人民戦線政府の樹立とは別に、スペインではアナーキズムの影響を受けた労働運動が隆盛化していた。中でもロシア革命以前の1910年に結成された労働者全国連合(CNT)と、1927年結成のイベリア・アナーキスト連盟(FAI)が中心を成していたが、後者は前者の傘下団体に近い存在のため、両者は一体的であった。
 こうしたアナーキスト系労働運動は、アナーキズムの祖国でもあるフランスで19世紀末頃に発祥し、フランスを経由してスペインにも持ち込まれていたものだが、特にスペインで隆盛化したのは、カトリック保守主義の歴史的岩盤が極めて強固だった反面として、権威的な束縛からの徹底した自由を志向するアナーキズムの反作用が強く働いたこともあったと考えられる。
 1936年に始まるスペイン・アナーキスト革命は、CNT‐FAIを主体としつつ、カタルーニャのような歴史的に独立志向の強い地方でナショナリズムと結びつく形で実行されていったのであるが、その直接的な動因となったのは、人民戦線政府の不安定さに付け入った36年7月の保守派軍部による反乱であった。


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