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弁証法の再生(連載第12回)

2024-05-24 | 弁証法の再生

Ⅳ 唯物弁証法の救出

(11)サルトルの実存的弁証法
 ルカーチが革命渦中の中東欧からソ連式の教条化された唯物弁証法を救出しようとしたのだとすれば、西欧から同じことを企図したのがジャン‐ポール・サルトルであったと言える。サルトルは、弁証法を実存主義の中に言わば投企するという大胆な試みに出た。というのも、人間の自覚存在を追求する唯心論的な実存主義と唯物弁証法は水と油のように感じられるからである。
 実際のところ、ルカーチも労働者階級が自らの社会的立場を自覚して階級意識に目覚め、主体性を取り戻すため団結して革命を導くべきことを説いたことで、弁証法に唯心論的な要素を取り込んでいたが、サルトルはより意識的にあえて唯心論を注入しようとしたとも言える。
 サルトルが主著のタイトルにも使用した「弁証法的理性」は、歴史を客観的事象として外から眺める分析的理性に対して、実践的に歴史のうちに自己を参入させることによってその意味を了解しようとする理性であり、そこから、彼はアンガージュマンという実践を自らにも課していった。
 とはいえ、ルカーチはハンガリー革命への参加というまさしく革命行動を実践したのに対して、サルトルのアンガージュマンはより漠然とした社会状況への参加という形で拡散しており、機会主義的で、半端な印象はぬぐえない。もちろん、そこには実際に革命的状況にあったハンガリーと、革命の波動がすでに過去のものとなっていたフランスとの状況的な相違があったこともたしかである。
 サルトルの実存的弁証法の基本定式は、ヘーゲル弁証法を下敷きに、即自⇒対自⇒対他という三段階を経て人間が他者との関わりの中で実存し、そこから社会参加へと止揚的に導かれる諸相を想定したものであり、人間の本来的な自由を強調するものであった点、革命的なフランス人権宣言の精神を弁証法に注入したとも言える。
 それは自由を体系的に抑圧するソ連体制の道具となっていた唯物弁証法を救出する手がかりにはなるであろうが、他方で、サルトルにおいて対自存在として把握される人間の本来的自由なるものは観念にすぎないとも言える。社会状況というものも、個人の意思では如何ともし難い構造—彼の言う「実践的惰性態」—と化しているとすれば、それをどう克服できるのか。
 サルトルによれば、そうした反弁証法的な実践的惰性態を乗り越えるべく、共通目標を目指す集団を形成し、階級闘争を含む共同実践を行うということがその回答であり、それを「構成された弁証法」と呼んでいる。言い換えれば、実存的弁証法ということであろう。
 ただ、ソ連と対峙する西欧での革命可能性が遠のいた晩年のサルトルは、生誕以前の歴史と生誕以後の履歴とによって予め有限的に狭められた選択肢を選択せざるを得ない人間は、自己という資質を抱え、それに抗いながら自由を発見するよりほかないという自由の本来的制約性を認めるようになった。これを実存的弁証法の敗北宣言とみるかどうかは、解釈の問題である。


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