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近代革命の社会力学(連載第421回)

2022-05-03 | 〆近代革命の社会力学

五十九 ネパール民主化革命

(4)共産党の統合化と毛沢東主義派の台頭
 1990年のネパール民主化革命で特徴的なことは、これを通じて共産党が大きく台頭してきたことである。同時期には世界の共産党支配体制が揺らぎ、次々と民衆革命により打倒されていた中でのこの逆行事象は興味深いことである。
 とはいえ、1990年革命前の時点で、ネパールの共産党は10を超える分派が各々独立した党を形成しており、民主化革命を始動したネパール会議派からの共闘要請に応じ、統一左翼戦線を結成したのは、ネパール共産党マルクス・レーニン主義派を筆頭とする7派にとどまった。
 マルクス‐レーニン主義と言えば、まさにソ連をはじめ、共産党支配体制諸国の公式イデオロギーであり、それこそが諸国では革命の憎き標的であったが、元来は武装革命を目指していたネパール共産党マルクス・レーニン主義派は一足先に1986年以降、党自身が複数政党民主主義を承認していたことで、民主化革命の当事者となり得たのであった。
 複雑なことに、ネパール共産党諸派には、他により穏健なネパール共産党マルクス主義派を称するグループがあり、これも統一左翼戦線に参加し、同戦線議長となった女性指導者のサハーナ・プラダンもこのグループの出自であった。
 このように、ネパール共産党は多岐に分裂しながら台頭してきたが、民主化革命の成功は党の統合へ向けた新たな潮流を作り出した。革命翌年の1991年には、マルクス‐レーニン主義派とマルクス主義派が合同し、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党)が結党された。
 この統合潮流は、1994年に至り、統一共産党党首マン・モハン・アディカリが首相に選出されたことにより、立憲君主制下での共産党政権という世界歴史上も(おそらく)前例のない事例を生むことになった。
 このように、民主化革命後の統一共産党は君主制と共存することで政権獲得にまで進んだわけであるが、このことはネパール会議派を中心とする非共産主義勢力の警戒を呼び、95年には内閣不信任案が成立、アディカリ共産党政権は短期で瓦解した。
 他方、統一共産党に合流しなかった共産主義者の間では民主化革命が積み残した君主制や大土地所有制などの諸問題の課題に対し、毛沢東主義を掲げ、農民層の支持を背景に農村を根拠地とする武装革命路線に進む動きが生じ、1994年に共産党毛沢東主義派中央が結党された。
 毛沢東主義派は1996年以降、王室特権の廃止やカースト制廃止、ヒンドゥー国教の廃止など急進的な要求を掲げ、「人民戦争」と銘打った武装闘争を開始した。その間、毛沢東主義派は山間農村に政府支配の及ばない解放区を次々と設定し、21世紀初頭までには国土の半分以上を実効支配するに至った。
 こうした「人民戦争」に対して政府は武力掃討作戦で臨んだため、ネパールは2006年まで内戦状態に置かれることとなった。内戦は生まれたばかりの立憲君主制を揺さぶり、再び専制君主制への反動とそれに対する革命を惹起することになる。


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