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原発報道は今

2013-03-11 | 時評

原発大震災から二年。事故当初の緊迫したリアルタイム報道から一変し、事故を起こした福島第一原発の状況は現在どうなっているのか、メディアは日々継続報道せず、五輪招致ニュースなどに熱中している。原発事故は、五輪招致上も看過できないマイナス要因なのに―だから報じない?―である。

時折思い出したように報じられる原発事故関連のニュースは早々と「収束宣言」を発した政府・東電の発表に頼っており、翼賛メディア化の進展ぶりは事故前と変わらない。

原発事故の要因は物理的なものと非物理的なものとが複雑に絡み合っているが、非物理的な主因として秘密主義の情報閉鎖社会ということがある。その点ではチェルノブイリ原発事故を起こした旧ソ連と同様である。両国が同一レベルの空前原発事故の当事国となったのも決して偶然ではない。その点でメディアの責任は小さくない。

だが、旧ソ連と大きく異なるのは、現代日本には検閲制度がなく、報道の自由が確保されていることである。ならば、事故当事国メディアの使命として報道の自由を行使し、過剰気味のスポーツ・芸能ニュースを削ってでも、完全な「収束」が確証されるまで原発事故情報を定番ニュースとしてこまめに内外に伝えるべきである。

他方、マス・メディアとは異なる情報源を持つ反原発・環境運動側の独自メディアも近時はデモ・集会などのイベント情報に偏り、事故情報をあまり伝えなくなっている。運動体がイベント屋と化してよいのか。情報閉鎖社会の市民にとって必要なのはイベントよりも真実を伝える正確な情報だ。

マス・メディアもオールタナティブ・メディアも、総じて「収束宣言」という世論工作にはまっているように見える。そもそも3・11はただの大震災ではなく、人類が経験したことのない「原発大震災」だったという事実自体が十分に伝えられてきたとは言えない。情報閉鎖社会は事故後も相変わらずだとしか言いようがない。

そうしたことへの反省もなく、原発事故はすでに終わった不幸な偶発事と片づけて社会全体が原発再稼動へなし崩しに動き出すならば、歴史は繰り返されるだろう。「知らぬが仏」ということわざもあるが、原子力に関する限り、「知らぬがゆえに仏」となりかねない。  


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