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マルクス/レーニン小伝(連載第63回)

2013-03-14 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 略

第5章 死と神格化

(2)忠実な相続人スターリン

レーニン神格化政策
 レーニンの死後、彼に対してソ連当局がとった態度は神格化と呼ぶにふさわしいものであった。そして、このようなレーニン神格化政策を主導したのが他でもないスターリンだったのである。
 彼は死の直前期のレーニンと不和になり、個人的な性格を論文の中でなじられるという屈辱を受け、内心レーニンへの反感が募っていたはずであるが、間もなく始まるであろう後継者争いに打ち勝つため、さしあたりレーニンを神格化して自らレーニンに最も忠実な弟子であることの証しを立てなければならなかった。
 生前のレーニンは明確な後継指名をしていなかったが、病床で筆記させた最後の論文の一つで、トロツキーとスターリンの名を挙げ両人の協力を要請していたことから、この二人に的を絞っていたことは間違いない。
 しかし、死の直前のレーニンがスターリンと激しく対立したことからすると、トロツキー株が上がっていたように見えた。もっとも、トロツキーの弱点は元来メンシェヴィキであり、ボリシェヴィキに正式に加入したのは、第二次革命の時であるにすぎないことにあった。
 となると、スターリンがトロツキーとの違いを際立たせる道は故レーニンへの絶対的忠誠と帰依を見せつけることであった。そこで彼はレーニンの遺体の保存措置に関する党政治局決定を主導し、レーニン廟の建設を推進したのである。そして、いち早く「レーニン主義の基礎」という論文を発表してレーニン思想の教条化にも着手した。
 こうしたレーニン神格化政策の効果は大きく、もともとレーニンに対する忠誠心にいくぶん疑問の持たれるトロツキーとの後継争いで優位に立つことに成功した。そのうえで、彼はかつて10月革命時には軍事蜂起に反対してレーニンの不興を買ったカーメネフとジノヴィエフを味方につけてトロツキーを少数派に落としておいて、1927年の党大会ではトロツキーとともにコミンテルン議長ジノヴィエフも追い落として権力基盤を固めたのである。


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