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年頭雑感2020

2020-01-01 | 年頭雑感

当ブログは本年度をもって開始から足掛け10年目の節目を迎えることになるが、西暦上の本年度は2020年代の初年度に当たる。新たな10か年の始まりである。

振り返って、2010年代とはどのような10か年だったか。始まりは2010年ハイチ大震災、翌年の東日本大震災というともに万単位の死者を出す連続震災という凶事であった。2001年代の始まりが01年の9.11同時多発テロ事件であったのと同様、どうも21世紀前半の10か年は多数の犠牲者を出す凶事で始まる傾向性がある。

経済的な面では、2010年代は2008年世界大不況の余韻が残る中で不穏に始まったものの、結局のところ、資本主義の根本構造が再検討されるようなことはなく、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえとおり、再び振り子が元に戻っていった観がある。

2010年にGDPで世界第二位に立った中国は、共産主義からはますます遠ざかり、社会主義市場経済を越えて資本主義への合流の道を驀進し、軍事力の増強によっても、かつての米ソ二大超大国に匹敵する米中二大基軸が形成されたのが2010年代である。

両国はさしあたり貿易戦争という形で経済的に張り合っているが、しかし、中国の経済動向が2010年代末に陰りを見せる反面、米国はトランプ大統領の情緒不安定な政権運営のゆえに、2020年代の米中が文字通りの「二大超大国」となるかどうかは不透明である。

一方、従来、資本主義的に取り残されていた観のある中東・アフリカ地域にまで資本主義市場経済化が及ぶ中で、人口増の圧力から大量の移民が欧州に押し寄せ、これに対抗する反移民ポピュリスト政党/扇動政治家が欧州各国で躍進した。こうした反移民政治は、グローバル資本主義が肥大化することに反比例して、各国で台頭する排他的な「自国第一主義」の動向とも結びついている。

その英国的象徴が、欧州連合離脱である。この国は、今月末にも予定される連合離脱を経て、2020年代大英帝国再興の夢の実現に向かうようである。「アメリカ第一」を高調しつつ、歴史的な憲法を超越し、米国では前例のないファシズムに近い個人崇拝政治を繰り広げるトランプ政権も同種の流れにある。

また、「自国第一」をあえて掲げるまでもなく、自国第一が体質化されている日本では、国風元号改正を経て、一党集中政を達成した安倍政権の史上最長記録が更新され、さらに継続する兆しさえ見せている。

このような土台構造=国境を越えるグローバル資本主義、上部構造=国境を閉ざす自国第一主義という上下の奇妙なねじれ構造は、2020年代初頭の基調となるものと予想される。

他方、気候変動問題に関しては、各地で熱帯低気圧や熱波の被害が続き、森林火災の常態化といった異常気象が目立ち始める中、反環境政権としての性格を持つアメリカのトランプ政権によるパリ協定離脱という反動が惹起された。とはいえ、正統的環境保護派も資本主義市場経済への疑問は封印し、相変わらず「環境と市場の両立」テーゼに固執している状況である。

2010年代の経済的な面での動きは限定的な反面、政治的な面では激動があった。アラブ諸国で民衆蜂起が同時発生したが、一部を除き革命としては失敗に終わり、かえって援助国の介入によりリビア内戦、シリア内戦、イエメン内戦といった凄惨な連続内戦の引き金となり、これらすべてが2020年代持ち越し案件である。

また、アラブ世界では、2010年代半ばに暴虐なファシズム集団イスラーム国の台頭と支配という激動があった。これは例によって米国の軍事介入により昨年までに打倒・排除され、2020年代持ち越し案件とはならなかったものの、組織再生ないしは派生組織の出現可能性までは排除されていない。

このような援助国が介入する内戦の多発化も2010年代の特色であり、旧ソ連を清算したロシアの覇権主義的な「復活」に伴う旧ソ連構成国ウクライナの侵食、それをめぐるウクライナ政府とロシアが支援するロシア系武装組織との内戦もその一つである。こちらは2010年代末に双方歩み寄りの兆しを見せたが、なお予断を許さない状況である。

こうした内戦とともに、大規模な民衆デモが世界に拡散したことも、2010年代の特色であった。とりわけ香港ではデモがほぼ恒常化したまま年越しという事態となっている。また、それらとは別筋のデモとして、青少年の反気候変動デモという波動も2010年代後期に隆起した。おそらく、これら民衆デモの波も2020年代に持ち越されるだろう。

ただ、こうした民衆デモの世界拡散が全般的な世界連続革命にまでつながる要素は乏しいと見る。この問題については、より特化された論評を要するため、稿を改めることにし、ここでの結びは次のことである。

2020年代の中間点2025年は21世紀最初の四半世紀という小さな節目にも当たり、さらに同年以降の第二四半世紀は2050年という大きな節目へのステップに当たる、という意味で、2020年代は21世紀史上架橋的な10か年となる。


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