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ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

民衆デモの採点

2020-01-02 | 時評

前日「雑感」の中で、2010年代後半から20年代に持ち越される民衆デモの世界的な拡散が全般的な世界連続革命にまでつながる要素は乏しいと見る、と記したが、そのわけを簡潔に補足しておきたい。なぜ、そう見るか━。


①思想性を欠く

これら民衆デモはアナーキーで、とらえどころがない。といって、社会思想としてのアナーキズムに立脚しているわけでもなく、漠然と民主化やその他のスローガンを掲げるが、思想的にはほぼ無思想である。刹那的で展望性がないため、新たな社会へ変革するという革命的な展望に結びつかない。

②組織性を欠く

これら民衆デモは、たいていはSNSを通じて個人が自主的に参加している。このような個人単位の自由な結集には、民主的な面もある。しかし、革命の波動を起こすには、組織化が必要である。といっても、20世紀的な政党組織による必要はなく、よりしなやかな結合体としての組織がふさわしい。

③対抗性を欠く

これら民衆デモは、たしかに当局と「対峙」はしているが、対峙することが目的と化し、公式政府と併存する民衆の権力―対抗権力―の形成に至っていない。このことは、組織性を欠くこととも関連している。対抗性を欠いたままの「対峙」では、単なる暴動に退行する恐れが大である。

④民際性を欠く

これら民衆デモは、一国ないしは一地域単位で展開されており、国境を越えて相互に連帯していない。そのため、世界的な革命の波動に発展しない。SNSは理論上「世界とつながる」はずであるが、実際上は言語の多様性という壁に阻害されている。これは、SNSの技術的な限界でもある。


なお、民衆デモとは別筋だが、エコロジーの思想に基づき、緩やかな組織をもって、民際的に展開されている青少年の反気候変動デモは、上掲四つの点で、③対抗性を除けば、ある程度の水準に達しているように思われる。

そのために、かえって背後でかれらを操る成人の個人や団体が潜んでいるかのように疑われやすい。背後関係はともかく、気候変動の悪影響を集中的に受けるのは21世紀後半期まで生存していく青少年世代であるから、かれらが運動の前面に出ることには必然性がある。

ただ、かれらも現状では、各国政府により真剣な気候変動対策を訴えるといった請願運動に終始しており、根本的な社会革命を推進する運動としては未熟な、まさに青少年の運動にとどまっている。かれらが成熟した後、どのような方向に進んでいくのか注視したい。


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