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近代革命の社会力学(連載第333回)

2021-11-22 | 〆近代革命の社会力学

四十八 バヌアツ独立革命

(1)概観
 1960年代にアフリカの西欧列強植民地の独立が一段落した後、70年代になると、独立運動の波は南太平洋にも及んできた。この地域も、英米仏、さらに一足先に英国から独立していたオーストラリアやニュージーランドを含めた域内強国の支配下で分割統治されてきた。
 この地域における独立はその大半が平和裏な交渉を通じて実現されていったが、例外として、メラネシア圏のニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)では、独立運動が革命へと展開した。その要因として、同諸島が20世紀初頭以来、英仏の共同統治という異例の二国支配下に置かれていたことがある。
 このような二つの列強による共同統治体制は植民地史の中でも極めて異例のものであったが、最大の問題は言語にあった。植民地の慣例として、日常共通語(ニューヘブリディーズでは主に英語がピジン化したビスラマ語)とは別に、宗主国の言語が公用語とされることになるが、ニューヘブリディーズ諸島では諸島を構成する島ごとに英語圏と仏語圏とに分割される結果となった。
 このような極端な言語分割が起きたのは、80を超える島々から成る島嶼地域で完全な「共同統治」を実現することの困難さの結果であった。そのため、英語圏の島と仏語圏の島とに分割されてしまい、そのことが独立をめぐる考え方の違いにも反映され、70年代半ば以降、紛争を生じることとなった。
 そうした独立運動にまつわる混迷状況は次節で見ることとして、最終的な結果としては、英語圏島主導での急進的な独立勢力がほぼ全島規模での臨時政府を樹立した革命を契機に、1980年にバヌアツ共和国として独立が成った。
 英語圏と仏語圏の対立の影には、70年代当時、南太平洋にも及んできた社会主義をめぐるイデオロギー対立もあった。英語圏勢力は社会主義に傾斜したのに対し、仏語圏勢力はこれに反対していた。しかし、独立革命を主導し、最終的な独立を勝ち取ったのは英語圏勢力であったので、独立後のバヌアツは1990年代初頭にかけて社会主義に傾斜した。
 この間、「メラネシア社会主義」を標榜するウォルター・リニ首相が率いる英語圏政党・バヌアアク党(我が土地党)の長期政権が続き、外交上は非同盟を掲げつつ、キューバやリビアなどに接近し、周辺地域の独立運動を支援するなど、南太平洋におけるある種の「革命輸出国」のような存在となった。
 こうしたバヌアツ独立革命は、19世紀末のハワイ共和革命と並び、歴史的に革命とは縁の薄い南太平洋地域における例外的な革命事象に数えられるが、帝国主義の波の中で独立国からアメリカ合衆国への併合を結果した後者とは正反対の経過を辿った、対照的な事例である。


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