ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第466回)

2022-07-27 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(6)リビア革命

〈6‐4〉ガダーフィ惨殺と国家の分解
 ガダーフィは2011年8月下旬に「戦略的行動」として首都トリポリから逃亡した後、出身地である中部の都市スルトに向かい、支持者を束ねて反転攻勢に出る意図を持っていると見られたため、首都を制圧した評議会軍もスルトへ戦力を投入しつつ、懸賞金をかけてガダーフィの所在探索を行った。
 その結果、10月下旬には評議会軍がスルトの制圧に成功し、市内の排水管内に潜伏していたガダーフィも拘束され、その場で殺害された。公式発表では銃撃戦の末の死亡とされたが、公開された映像には民兵による拷問の様子も写されており、国際法違反と非難された。
 控えめに言っても形式的な裁判さえ経ない超法規的処刑であり、実態は報復殺人に近い惨殺であった。このような前近代的処置は革命に重大な汚点を残し、革命の行く末を暗示させるものであった。いずれにせよ、「アラブの春」全体の中で、打倒された為政者が革命派によって殺害されたのは、革命後に別の事情から殺害されたイエメンのサーレハを除けば、唯一の事例である。
 こうして、体制崩壊に続き、体制の主が殺害されたことで、リビア革命は完了したが、評議会は元来、単一の組織ではなく、反ガダーフィを旗印とする諸部族勢力の当座の連合に近いものであったから、ガダーフィ排除の目的を達すると、たちまちに分裂をきたした。
 分裂の最大の対立軸は部族対立である。ガダーフィ時代はいかなる公職も持たない独裁者の強権をもって部族対立は封印されていたが、その重しが消滅した今、部族対立が息を吹き返してきた。対立を止揚するため、評議会とは別に、宗教指導者や知識人を主体とする社会調停機関として「国民和解のための調停委員会」が創設されたが、充分な効果は上げられなかった。
 さらに、ガダーフィ時代は絶対的体制イデオロギーであったジャマヒリーヤ理論が放棄されると、世俗派とイスラーム派という中東に共通のイデオロギー対立軸が浮上してきた。この対立は、2012年に、リビア独立年の1951年以来、およそ60年ぶりとなる民主的な総選挙で世俗派が第一党となったことで、かえって助長された。
 2014年の正式な議会選挙でも改めて世俗派が圧勝し、全体的な民意の世俗派支持は明らかであったが、この結果に不服のイスラーム勢力は武装蜂起し、首都トリポリを制圧した。このクーデターの結果、世俗派議会・政府は首都から退避し、東部の都市トブルクに移転した。
 こうして、トリポリ拠点のイスラーム派・国民合意政権とトブルク拠点の世俗派・代議院政権とが並立、さらに歴史的に独立志向の強い東部キレナイカには事実上の地方政権が樹立されるなど、リビアは完全に分解を来たしたのであった。こうした革命後の国家分解は氏族対立の激しいソマリアの革命―旧イタリア植民地という点でも共通項がある―と酷似した展開となった。
 こうしたイスラーム圏での国家分解に伴う事象として、リビアにもイスラーム過激派が浸透し活動するなど、無政府状態は助長されていく。その後、国連の仲介を得た国家再統一への努力が続けられ、2021年にようやく統一政府の発足に漕ぎ着けるが、その間の展開は本項の論外となるため、言及しない。


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