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近代革命の社会力学(連載第74回)

2020-02-18 | 〆近代革命の社会力学

十 ブラジル共和革命

(5)寡頭的共和制への収斂
 ブラジル第一共和政は1889年の革命から、内乱・内戦を乗り切り、10年ほどでようやく安定を見たが、その結果出現したのは、主としてコーヒー農園を経営する大農場主を主要な支持基盤とする寡頭的共和制であった。そのため、この体制は揶揄を込めて「カフェオレ政治」とも呼ばれる。
 このような体制の性格がはっきりと姿を現したのは、第4代大統領カンポス・サーレスの時である。サーレスは法律家であると同時に、コーヒー農園主でもあり、内乱・内戦の不安定な時期を乗り越え、第一共和政を安定させるにはうってつけの人物であった。
 ブラジル共和制はアメリカ合衆国型の連邦共和制を採用していたため、元来州の自治権は強いが、サーレスはこうした分権体制を一層強め、州の内政自治権を大幅に強化した。これにより、政治の実権は各州知事に握られ、連邦政府は各州地主層を代表する州知事の談合の場となった。
 中でも、サーレス自身が出自したコーヒー生産の中心地サンパウロ州と畜産・酪農の中心地ミナスジェライス州が二大有力州となり、サ―レス以後の大統領は一部例外を除き、サンパウロ共和党またはミナスジェライス共和党のいずれかから選出されることが慣例として定着した。
 反面、共和革命で実働部隊を担い、最初の二代の大統領を輩出した軍部の地位は低下し、以後、1930年の軍事クーデターで第一共和政が終焉するまで、軍部が政治の前面に立つことはなかった。その点、周辺南米諸国では軍部の力が強く、しばしば軍人大統領が独裁したのとは異なる展開を辿ったのである。
 こうして、ブラジル第一共和政では、大規模農場主・牧場主の寡頭支配を軸とする共和制の上部構造が農業経済を軸とする経済的下部構造を保証するという典型的な農業資本主義が構造化されていった。その点で、唐突なクーデターに始まったブラジル共和革命は、事後的にブルジョワ革命として確定したと言える。
 この「カフェオレ政治」においては、農園労働者として働く農民は従属的地位に置かれていた。かのカヌードスの反乱も王党派の蜂起という側面以上に、農民の自治的共同体による反乱という性格が強かったのであるが、前回見たように、第一共和政はこれを絶滅作戦により力で粉砕したのであった。
 しかし、カヌードスの反乱が悲惨な失敗に終わっても、北東部を中心に農民層の抵抗は残存し、20世紀に入ってからも千年王国思想に触発された農民大反乱が勃発したほか、大地主に対する略奪を働く匪賊の活動などが見られた。しかし、こうした農民層の抵抗は、知的には十分練られておらず、中近世的な農民一揆の域を出ないものにとどまり、メキシコのように革命の契機とはならなかった。
 他方、帝政時代のように再び逼塞していた軍部内では、青年将校を中心に「カフェオレ政治」への不満が高まり、1920年代以降、しばしば武装反乱事件を起こしたが、これも一般民衆からは遊離した不満分子の反乱にとどまり、革命の機運は生じないままであった。
 最終的には、1929年大恐慌でブラジルのコーヒー産業が大打撃を被ったことが、まさに「カフェオレ政治」の命取りとなり、軍の不満分子と都市で成長してきた労働者階級の支持を背景とする軍事クーデターにより、第一共和政は終焉、以後、ヴァルガスのファシズム体制へ向かった。


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