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近代革命の社会力学(連載第442回)

2022-06-14 | 〆近代革命の社会力学

六十二 ユーラシア横断民衆諸革命

(7)諸革命の余波
 ユーラシア横断民衆諸革命の余波事象は、セルビア革命が惹起した事象とグルジア革命以降の旧ソ連邦構成諸国における諸革命が惹起した事象とに分けられる。
 
 前者の余波事象として周辺への地政学的影響も大きかったのは、旧ユーゴスラヴィアが解体した1992年以来、セルビアとモンテネグロの二国連邦として構成されてきた新ユーゴスラヴィアの解体・消滅である。
 モンテネグロは1998年にミロ・ジュカノヴィチ大統領が就任して以来、ミロシェヴィチ連邦政権との距離を置くようになり、2000年のセルビア革命に際しても、ミロシェヴィチを擁護しなかった。
 2000年の革命後、モンテネグロはますます独立志向を強め、2003年には3年後に独立を問う国民投票を実施する条件付きで、セルビア‐モンテネグロ連合を改めて創設した。これは小国モンテネグロの独立を地政学的に不安視する欧州連合の仲介を経た妥協の産物であり、事実上独立は時間の問題であった。
 実際、この新連合ではモンテネグロは独自の外交・防衛制度を有しており、2006年の国民投票でも過半数の賛成をもって独立が承認されたことで、旧ユーゴスラヴィアを構成したすべての共和国が独立を果たし、名実ともにユーゴスラヴィアというレジームが終焉した。
 このことはセルビア領内のコソヴォ問題にも影響し、2007年以来、コソヴォの分離独立を促進、2008年にはセルビアの反対を押して自治州議会による独立宣言に至った。これもユーゴスラヴィア解体を介した革命の間接的余波と言える。
 
 一方、グルジア革命に始まる旧ソ連邦構成諸国の革命の余波は、同様の立場にあるいくつかの諸国にも及んだが、これらの諸国は保安機関による統制が厳しく、民衆の抗議行動の高揚は見られたものの、いずれも革命に進展することなく収斂している。以下、概略のみ箇条的に記す。
 ウズベキスタンでは2005年3月、1991年の独立以来、長期独裁を続けるカリモフ体制に対する抗議運動。東部アンディジャン市の抗議デモでは治安部隊が発砲、最大推計5000人の死者を出す事態に。
 アゼルバイジャンでは2005年11月、親子二代の世襲によるアリエフ一族体制に対する抗議運動。
 ベラルーシでは2005年3月と2006年3月、1994年以来の多選独裁を続けるルカシェンコ体制に対する抗議行動。
 ロシアでは2006年12月から2007年3月にかけ、プーチン政権(第一次)の抑圧に抗議する「反対者の行進」。
 なお、旧ソ連衛星国モンゴルでは1990年の革命以来、自由選挙制が定着していたが、2005年3月に続き、2008年7月にも、旧独裁政党・モンゴル人民党による不正選挙疑惑に対する抗議行動が見られた。


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