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近代革命の社会力学(連載第352回)

2021-12-23 | 〆近代革命の社会力学

五十 イラン・イスラーム共和革命

(8)軌道修正から半民主化へ
 対イラク戦争は、イラン側の最大推定戦死者数60万人という犠牲を出しながらも、実質上イランの勝利に近い引き分けに終わった。しかも、この戦争を通じてホメイニーの原理主義的支配は強化され、イラクやその背後の大国の思惑に反し、イスラーム共和制は盤石なものとなった。
 しかし、ホメイニーは終戦の時点ですでに80歳代半ばに達しており、余命は長くなく、翌年の6月に死去した。10年近い最高指導者在任期間の大半が対イラク戦争に費やされたことになるが、すでに体制を揺るがす政敵となる勢力はほぼ一掃されていたため、ホメイニーの死去は動乱要因にはならなかった。
 もっとも、ホメイニー生前の1980年代後半期以来、革命与党のイスラーム共和党内部で、経済政策をめぐり自由経済派と統制経済派の派閥が形成されてきていたところ、ホメイニーはこれが深刻な政争につながることを懸念して、87年に党の活動停止を決断していた。
 一方、ホメイニーの後継候補者として、よりリベラルで女性や少数派の権利擁護にも積極的だったナンバー2のホセイン‐アリ・モンタゼリ副最高指導者がいたが、モンタゼリは1988年の左派政治犯に対する大量処刑を批判したことで、ホメイニーと対立し、失権していた。そのため、ホメイニー死去に際してはハメネイ大統領が後継の最高指導者に選出された。
 ただ、ハメネイはホメイニーの高弟とはいえ、宗教上の権威や名声に乏しく、ホメイニーのような指導性は期待できなかったが、かえって宗教上の最高指導者は元首として国民統合的な役割を果たし、政府の指導は選挙された大統領が行う機能分離が実現し、ファッショ化していたホメイニー時代の体制を軌道修正する契機となったと言える。
 その結果、1990年代以降、現在に至るハメネイ体制下では、定期的な大統領選挙により一定の政権交代が慣例化されるようになった。とはいえ、大統領候補者が事前に思想的な資格審査をされる点で、ある種の制限選挙ではあるが、俗人を含む候補者が選挙戦を展開する点では、独裁体制と異なる。
 また、政党政治は定着していないものの、指導的な聖職者を囲む形で、ホメイニーの原理主義に忠実な保守派と、ある程度までリベラルな改革派及び両派を均衡する中間派のおおまかな政治グループが形成され、この鼎立関係が大統領選挙では色濃く反映され、議会にも緩やかな会派的細胞の形成が見られる。
 このように、ホメイニー死去後の軌道修正されたイスラーム共和制は、不完全ではあるも、限定的な体制内民主化が進行し、半民主制とも言うべき体制に変異してきている。とはいえ、革命防衛隊とも直結する保守派の組織力は強く、議会・大統領ともに保守優位の状況は、本質的に不変である。


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